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テーマ:本のある暮らし(3316)
カテゴリ:読書日記
仕事が一段落したので、部署のみなさんとお祝いの酒。
おそば屋さんで日本酒としぶいおつまみをいただき、最後は盛りそばで締める。 ああ、うまい。 今の部署の飲み会は、早い時間に始まってさっと終わるのがありがたい。 ぐっすり寝れば、次の日の仕事にもひびかない。 ほろ酔いの帰りみち、ふらふらと本屋に足を踏み入れてしまう。 酔っぱらうと「本を買いたい欲」がセーブできなくなる。 図書館で借りるつもりだった吉本隆明「真贋」、小川洋子「小川洋子対話集」、迷わず買ってしまう。 いかんなあ。 思うにわたしは、本を読むのももちろん好きだけれど、それ以上に、本を蒐集することが好きなのだ。 あちこちの書店を歩き回り、買い集めたお気に入りに囲まれていないと、安らげない。 蒐集家はおしなべて子供時代に十分な愛情を受けていないとフロイトは言った(…と、「骨董屋ピンクス」に書いてあった)けれど、わたしも、情緒がどこか欠けているのかもしれない。 幼いころ、本を読むのは、どこか後ろめたい行為だった。 よくも悪くも敏感すぎて、外の世界と折り合いをつけられなかったわたしの、唯一何も心配しないで安らげる隠れ家が、絵本の中だったから。 学校に行きはじめると、机に向かって勉強するふりをして、引き出しの中に隠した本を読んだ。 「まーたあんたは本ばっかり読んで」が母の口ぐせだった。 ある日、国語の先生が「本を読みましょう」と言い出したときは、本当に驚いた。 悪いことだと思っていたのに。 学校の先生が、読書を奨励するなんて! そんなことがあったせいか、大人になった今でも、本を読むことに後ろめたさを感じてしまう。 電車の中で本を読んでいて知り合いに会うと、なぜか慌てて本を隠してしまうし、「読書家だね」と言われると、「いやあ、すみません」と意味もなく謝ってしまう。 で、さっそく「真贋」を読みはじめたら、「本を読むことには毒もある」と書いてあった。 何事にも、利点もあれば、毒もある。 本を読むことで人生が豊かになると言うけれど、本当にそうだろうか。と疑問を呈しておられる。 世界中の本を読み尽くしたのではないか、というような吉本先生の言葉だから、余計に説得力がある。 わたしは吉本先生みたいにきちんと言葉にできないけれど、本を読むことで発生する「毒」の感じは何となくわかる。 何事も、度が過ぎれば害になる。 本を読むのはいいけど、ちゃんと人と関わって、触れて、味わって、匂いを嗅いで、太陽の光を浴びて、地に足をつけなければ嘘だな。 毒を喰らわば皿まで。 わたしはとっくに本の毒に骨の髄まで犯されているけれど、せめて学生や若い人(ってわたしが言うのもおかしいけれど、仕事柄、中高生にアドバイスを求められることが多いので)に、むやみやたらと読書をすすめるのはやめよう。 どうしてもすすめるなら、具体的にちゃんと書名を挙げよう。 本を読むか読まないか、なんて、ケーキを食べるか食べないか、と同じくらいちっちゃなことで、そのひとの価値には何の関係もないもの。 もっと生々しいもの。 泥んこで、きらきら輝くもの。 そういう何かを、周りの人にプレゼントできる自分でありたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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