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カテゴリ:読書日記
リンカラン別冊「産んで育てる、自然な生き方 幸せいっぱいの出産、喜びの子育て。」が届く。 お風呂の中でしみじみと読む。 すてきな雑誌だなあ! 子供、産んで育ててみたいなあ、と思わせるつくり。 人ひとり預かって育てるのだから、もちろんいろんなことがあるだろうけど。 まだやったことのないわたしには、そのたいへんさも喜びも、本当の意味ではわからないけれど。 基本的に「楽しくて幸せ」なら、きっとがんばれるな。うん。 つらいよ、たいへんだよ、痛いよ、苦しいよ。 ってことは、子供のころからいろんな人に教わって、だから少し前まで「何だかこわいし、めんどくさそうだし、別に産まなくてもいいや。自分さえよければ」と思っていた。 だけど最近、あちこちで、「いやいや。すごくたいへんだけど、こんな喜びがあるよ。ほら、こういうふうにすると楽しいよ。幸せだよ」なんて話を聞くようになって、「わああ、そうだったのか。ほんとは楽しいのか!」と目をひらかれる思いなのです。 単純な自分… 時代の風向きも、女性が主体的に、そしてある意味では動物的に子供を産み育てることを、オープンに肯定する方向へ動きつつあるような気がする。 そう言えばこの間オーラソーマのセッションを受けたとき、プラクショナーさんが「子供を産むことは、女性にとって最大の自己表現のひとつ」というようなことをおっしゃっていた。 そういう考えかたは昔からあったのだろうけれど、はっきりと意識されるようになったのはわりと最近なんじゃなかろうか。 * 話が逸れるけれど、自分を表現するって、鉱脈を掘り当てること、そのためにひとりで深く深く掘り下げていくことなんだって、ずっと思っていた。 それはもちろんとても大切なんだけど、それだけじゃないということ、最近少しずつわかってきた。 掘ってきたものを、周りの人に渡して、分かち合う。 渡した相手から返ってきたものを、また自分の鉱脈に持っていって、違うものがひびき合う神秘や思いがけない反応を楽しむ。 そういうことまで全部ひっくるめて、表現の喜びなんだなあ、と実感する出来事が重なったのです。 とすると、表現というのは、何も絵を書いたり写真を撮ったり歌をうたったりするだけじゃなくなる。 世の中のあらゆる仕事、あらゆる役割はみんな表現の喜びにつながる可能性をもっているのだよなあ。 それって、とてもすてきなことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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