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カテゴリ:読書日記
特に意識しているわけではないのだけれど、何だか詩人の書いた随筆ばかり読んでいる。
荒川洋治「文学が好き」。 詩人の、言葉と文学への思いがこめられたエッセイ集。 冒頭「ぶんがくが すき」という短文がほんとうによくて、「わたしも とても ぶんがくが すき」と思い、ちょっと涙ぐむ。 気に入ったところを書き写すつもりで、気づいたら一遍ぜんぶ書き写してしまった。 茨木のり子「倚りかからず」の批評も載っていて、それが必ずしも好意的ではなかったので、茨木のり子を心の底から尊敬するわたしは一瞬、しょんぼりしてしまった。 しょんぼりしながら、でももう一度気持ちを奮い立たせて読み返したら、言葉がふくよかで、納得できる部分も多く、「ああ…」と腑に落ちた。 「倫理的な閉塞感」という言い回しなど、考えれば考えるほど絶妙で、自分の少ない語彙のつぼを引っかき回してみたけれどほかに言い表しようもなく、ぐうの音も出ない。 荒川氏は詩人だから、詩を作る苦しみも、この詩のよさも、わたしなどが感じる程度には当然わかっているのだ。 わかっていて、大切に思いながら、敬意を払いながら思うところを述べている。 本を閉じた後も、「閉塞感をうち破る」ことについてしばし思いをはせる。「ブンガクってなんだろう」ということについても考える。 考えすぎると眠くなる。 あんまり考えないで、本を読もう。できるだけたくさん。 先人たちが残した膨大な言葉を、短い一生ですべて読みつくすことはとうてい無理だけれど、一冊でも、一行でも多く読みたい。ああ、読みたい。わたしは読みたい(…と、著者のまねをしてみる)。 佐々木幹郎「雨過ぎて雲破れるところ」。 まず、題名が魅力的。 あめすぎて、くもやぶれるところ。 語感もいい。 この本は読書や文学とは少し離れて、詩人の、週末の山小屋生活をつづった楽しい文章。 老若男女が集まってギターをかき鳴らし、うまい酒を飲み、時には書斎で音楽会が開かれる。 いいなあ、と思う。 名声より成功より、人生の宝は仲間なんだなあ、と読みながら感じる。 家族でも、恋人でも補えない何かが「仲間」という集合にはたしかにある。 それにしても詩人の文章は、何気ない日常の瞬間をつづっているのに、思いがけないところからため息が出るほど美しい言葉が転がり出てきて、呆然とする。 東吾妻村に蛍を見にゆくくだり、「それが合図だった」という一文に息をのむ。 どんなに形容詞や比喩を駆使して蛍の美しさを描写しても、この一文がなかったら、読者の目の前にこれほど鮮やかな光景を浮かび上がらせることはできなかったろう。 詩人はやはり、言葉の魔術師だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.17 19:27:53
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