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カテゴリ:読書日記
小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」を読む。 このところ、小林健二の世界にどっぷりはまっていて、この本を図書館に返すときもそれは名残惜しかった。 結晶。光。妖精。それに鉱石ラジオ。 鉱石でね、ラジオが作れるのです。 あとはコイルや銅線やアンテナや、シンプルな材料だけで。電源もいらない。 鉱石がラジオになるというのがまずふしぎで、わくわくして、「なぜ?なぜ?」と思いながら一心に読む。 理科も算数も苦手だったから、回路図や作り方の説明を見てもあんまり理解できないんだけど、それでも知りたくて、一生けんめい読む。 しくみや原理は説明できるけれど、最後の「なぜ」―つまり、どうして鉱石がラジオの部品になるか―は科学でも数学でもわからないらしい、ということだけ漠然とわかる。 考えてみれば、パソコンだって携帯だってテレビだって、当たり前のように使っているけど「なぜ?」と思うことはほとんどない。 それなのに、鉱石を使ったラジオ、というものにこんなにも興味をひかれロマンを感じるのはたぶん、それが単純でシンプルな構造をしているからだ。 単純なものに心を寄せ、複雑すぎるものはわからないなりに受け入れてしまう。人の心はふしぎ。 澁澤龍彦へのオマージュとして作られたという「悲しきラジヲ」と、そこにこめられた小林健二のメッセージがあまりに透明で、ぼうっと見とれる。たましいの安らぎの場所。 鉱石に詩を読みとる…と言ってまず思い出すのは宮沢賢治。 科学を愛する詩人の言葉は、いつの時代も透明なのだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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