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カテゴリ:読書日記
最近の読書。
田口ランディ「キュア」。 ランディさんの、今までの小説とは何だか質がちがうように感じた。 いちだんと地に足が着いて、地中深くまで太い根っこがのびた感じ。 「まるでSFを読んでいるみたいだなあ」と思い、「そうかSFなのか」と途中で気づく。 人間とガンの闘い。 医療。宗教。代替療法。電磁波を感知して執刀する外科医。手首を切る少女。病院で死ぬということ。 ランディさんの書きつづけているテーマのいくつかが、この小説に昇華しているという印象を受けた。 読みながら、胸のあたりがずきずきした。物語に感情移入して、というのではなく、物理的に痛かった。以前病気をしたときずっと苦しかった第4チャクラのあたりだ。 何度か深呼吸したら、ようやく少し楽になった。 読んでいる間、死はわたしのすぐ隣にあった。 ランディさんの文章は、弱虫のわたしがふだん避けて考えないようにしている問題を、容赦なく正面から突きつけてくる。 あなたはいつかこの世での生を終える。 それまでのかぎられた時間を、あなたはどう過ごす? 何をえらぶ? どうやって、旅立つ? ねじめ正一「荒地の恋」。 詩誌「荒地」の詩人北村太郎と、田村隆一。 北村が田村の妻、明子と道ならぬ恋に落ちるところから、物語がはじまる。 長い年月をかけ、「ことば」で結びついた北村と田村の関係は、女性問題ひとつですぱっと切れるようなものじゃない。 この小説を読みながら、田村隆一「詩人のノート」をめくってみたら、田村は北村について、こんなふうに書いていた。 「北村太郎とは因縁が深い。きわめて深い。このぶんでは、来世までつづきそうである」。 明子も巻き込んで三つ巴に絡み合い、本人たちもほどく術を知らないその複雑な関係。というより、北村と田村は、ほどく必要も感じていなかったのかもしれない。 ふたりの間で、ゆっくりと壊れてゆく明子の精神。 北村の最後の恋人。そして、驚きの結末。 最後まで息つく間もなく一気に読ませる。ねじめさんは、すごい。 それにしても携帯電話もパソコンのメールもない時代は、人間関係が閉じられた一対一でなく、ゆるやかにひらかれていたのだな、とあらためて思う。 電話は取り次がなければ話せない。 書き言葉で何かを伝えようと思えば、焦れる気持ちをおさえて手紙をしたため、返事を待つしかない。 親は子の、妻は夫の人間関係にぼんやり巻き込まれている。 言葉のやりとりに時間と手間がかかる。それはとりもなおさず、頭を冷やし客観的になるゆとりもあるということだ。 その大らかさと、閉塞。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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