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カテゴリ:読書日記
雨上がりの涼しい風が窓から入ってくる。
低気圧と一緒に、今朝から頭の芯に巣食っていた頭痛も去っていった。すっきり。 しかし10日くらい前から悩まされている歯のひどい痛みは、相変わらずぼんやり残っている。 いま歯医者にかよっているのだけど、親知らずを少なくとも3本抜くことになりそう。 炎症があちこちに広がって、この間の治療は「ひ」と悲鳴を上げるほど痛かった。 お医者さんが「これは試練だ」「うわー、ごめんよ。意地悪してるわけじゃないからね」といい、歯科助手さんが「きゃ」と悲鳴を上げていた。ホラー歯科医院。 大人なので平気な顔をしていたけど、車に乗り込んだら足がこまかく震えた。 家に帰ってからくまに「よくがんばったね」と言われて思わず泣いた。 ほんとうにこわくて痛かったのだ。 改心して、よく歯みがきをしよう。 * 結婚して9ヶ月、雪国で暮らしはじめて7ヶ月、いつの間にか、いろんなことに少しずつ慣れている自分を発見する。 アイロンかけ。車の運転。早寝早起き。 冷蔵庫をのぞいてすばやく献立を組み立てること。 ひとりの時間。ふたりの時間。くまの家族とすごす時間。 食器を洗いながら洗濯物を干しながら、書いている文章について考えること。 * メイ・サートン「海辺の家」を読んでいる。 サートンはアメリカの小説家で、詩人。 「海辺の家」は、ひとり海辺の家に暮らす彼女の日常と心の動きを記した日記。 とても繊細な文章で、するどい自己洞察と啓示に満ちている。 どんなに高名な作家と言えども当然、人間で、迷ったり悩んだり日々のことにわずらわされたりせずには生きられない。 その中で、どうやって泉を枯らさず、流れを絶やさずに書きつづけるか。 サートン自身の葛藤もありのままにつづられていて、ひとは還暦を過ぎてもこれほどの熱意を保ちつづけられるのか…と驚かずにはいられない。 小川洋子さんは食卓テーブルで大学ノートを広げて、川上弘美さんもちゃぶ台で誰かに話しかけるように、家事の合間を縫って書きはじめた。 わたしもがんばらなくちゃ。 ほかの人になら言い訳はいくらでもできるけれど、自分だけはごまかせない。 よしもとばなな「サウスポイント」読む。 ここ数年のばななさんの小説は、読んだ直後より、むしろ何ヶ月か何年か経って、心の中で読書経験と自分の体験が入り混じって熟成され、もう一度読み返したときに「はっ!」となるものが多いように思う。 絵画にたとえると、「TUGUMI」のころはモネのような、きらきらした光と色彩の画風だが、最近の作品は東郷青児のような、闇を生かしたふしぎなファンタジックな雰囲気だ。 ばななさんはいま、どこかへ向かう旅の途中なのだな、きっと。 「博士の愛した数式」の映画を、DVDでようやく観る。 映像も、せりふも、登場人物のまなざしも、すべてがやさしさとぬくもりに満ちている。 ルートが川辺の道をとことこ歩いているとか、自転車の深津絵里ちゃんに桜の花びらが降りかかるとか、なんでもない場面で涙が止まらない。 原作の世界を大切に守りながら、映画にしかできないことをていねいに実現したすばらしい作品だった。 しかし翌日、月曜の9時にテレビをつけたら、昨日80分しか記憶が持たなかったかわいい博士が計算高い与党の総務会長になり、母の笑顔でハンバーグをこねていたすてきな家政婦の深津絵里ちゃんが野心あふれる秘書を務めていた。 「ああ、ああ…」と両手で顔を覆って台所の床に崩れ落ちるわたしを、くまがふしぎそうに眺めている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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