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カテゴリ:読書日記
朝、曇っていたけれど少しずつ晴れてきた。
今日はアパートが断水になるので、朝から片づけものや洗濯を大急ぎでやる。 夕方には水が出るのに、何だか心配で、家中のタオルやTシャツをかき集めてきて全部洗う。 結局、いつもの倍も洗濯をした。 風がつよいから、すぐにかわくだろう。 * 最近読んだ、本。 蜂飼耳「紅水晶」。詩人の短編小説集。 著者は詩人なので、すべての言葉が、収まるべき場所に収まっている。 むだな言葉、場ちがいな言葉がひとつも見あたらない。 じっと耳を澄まし、あらゆる色、音、におい、味、手ざわりをひとつもらさずていねいにすくいとる。 人間の観察日記みたいだ、と思ったり。 すべての行間には均質な静寂がある。 庭のししおどしに水がたまるのを待つ時間によく似た緊張感が、糸みたいに物語を貫いている。 同時に虫の羽音のような不協和音も、底の方でずっと鳴りつづけている。「ぶーん」とか「じー」とか。 「蜂」を「飼う」「耳」という名前のひとだものな。 読み終えて、あらためて表紙を眺め納得する。 作風も文体もテーマもまったく関係ないが、その「ブウン」という音で夢野久作を思い出した。奇作「ドグラ・マグラ」。 あんなに夢中になって、とりつかれたように本のページをめくったことは後にも先にも一度きりだが、そのくせこれほど人にすすめたくない本も珍しい。 書店でもしドグラ・マグラを手にとっている人がいたら、それ、読まないですむならそのほうがいいです、と耳うちしたいほどだ。 夢野久作を読むことを覚えたのは大学の教室だった。 文芸評論家で、音楽評論家でもある先生の講義で、週に一冊の課題図書を読み、勝手気ままに感想を言いあうというふしぎな授業だった。 先生が選んでくる課題図書がさらに奇妙で、川端康成なら「眠れる美女」、三島由紀夫にいたっては「憂国」の映画(三島由紀夫が原作、監督、脚本、主演すべてをひとりでこなし、延々とハラキリをつづける)を授業中に鑑賞した。 五時限目、西日の差し込む教室で、わたしたちはたしかに、何か奇妙で新しい価値観の種を植えつけられた。 あの場所で「紅水晶」を読みたかったな。 図書館のカウンターで返すとき、ふとそう思った。 ニヒルな先生は、集まっていた風変わりな文学青年たちは、どんな言葉で蜂飼耳を形容するだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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