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カテゴリ:読書日記
小川洋子「アンネ・フランクの記憶」を読む。 人に会い、取材をするときのためらいとおどろき、発見がつぶさに描写されていて、記者だったころをしばしなつかしく思い出す。 小川洋子さんがアンネに対して抱く愛情は、幼なじみの親友に向けられるそれと同種のものだ。 ホロコーストという歴史的事実ではなく、ひとりの少女の日記とその運命に向き合うことから出発しているので、読後感は決して重苦しくない。 その純粋で真摯な―真実から目をそむけようとしない姿勢に、ジャクリーヌさんもミープさんも心のいちばん奥にある扉の鍵を開けて、本物の言葉を語ったのだろう。 「アンネ・フランクの記憶」を読んだら「アンネの日記」も再読したくなって、「増補改訂版」を借りてきて読んだ。 前に読んだのは、おそらく十年以上前のことだと思う。 詳しい内容は忘れてしまっていたし、何よりも、13才の多感な少女が何を思って隠れ家での日々を過ごしたのか、大人になった自分の目と頭でたしかめたかった。 それにしてもこの鋭敏な感性と表現力。 殊に連行される直前3ヶ月ほどの日記は、異常な環境の中でアンネが急激な内面の成長を遂げたことをうかがわせる。 ジャーナリストになりたい、とつづった彼女が、アムステルダムで記者になり、取材をしたり執筆をしたりするさまがありありと目に浮かぶ。 こんなに才能のある女性が、その夢を叶えられなかったはずはない、と思う。 けれどアンネの日常と夢は、最後の日記の3日後に不自然なかたちで断ち切られることになる。 大人になった彼女の文章を、わたしたちは読むことができない。 収容所の彼女に、せめて紙とペンを差し入れることができたら、と考えずにいられない。 どんな粗末なものでもそれはアンネの救い、希望になっただろうから。 あるいはフランクル博士のように、小さな小さな紙片に何か書きとめて、生きるしるしにしていたかもしれない。 もちろんこれは彼女の倍も生き延びているわたしの、甘い願望にすぎないけれど。 V.E.フランクル「夜と霧」。 ホロコーストを経験した精神科医、フランクル博士の手記。 冒頭の「解説」と末尾につけられた図録は目を覆いたくなるような歴史の記録だが、本文は囚人となった博士の心の動きが中心なので、人一倍臆病なわたしでも、読みすすめるのはそうむずかしくない。 読後感も重苦しくなく、爽やかでさえある。 読み返すたび、心の成長(仮に前にすすんでいるとすれば)に合わせてかならず新しい発見がある。初めての本をひも解くような新鮮さ。 極限状態で人間を「人間」としてひきとめる最後の砦は、やはり家族を愛する気持ちや、夕日を美しいと感じる心なのだ。 平和で穏やかな、情報が洪水のようにあふれる国に暮らしていると、うっかりそれらを絵空事だと考えそうになる。 だから自分を戒めるために、おばちゃんになってもおばあちゃんになっても、何度でも繰り返しこの本を読んで、居場所をたしかめることにしようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.05 08:15:07
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