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カテゴリ:読書日記
梅雨が明けてから、毎日雨ばかり降っている。
時折はげしく降ってはまた小降りになる。 雨どいを水が流れていく音は耳にこころよい。 夕方になって晴れると、網戸から涼しい風。 裏山からはひぐらしの声が降ってくる。 ひぐらしの声は好き。 子どものころの夕方、永遠のように長かったあの時間を思い出す。 このところ心を占めている心配事がある。 ずいぶんじたばたしたけれど、どうやら、ただ待つ以外にどうすることもできないらしい。 仕方がないので、走りすぎる電車を見送るような気持ちで、時の外側に立って眺めることにする。 電車を降りて自分の無力さの前にたたずむことは、思っていたほどみじめでも、情けないことでもなかった。 線路脇の雑草は朝露をつけてきらきら光り、見上げる空はどこまでも青い。 嵐の後には、波が運んでくる流木がのこる。かならず残る。 わたしはそれを四方八方から仔細に観察し、注意ぶかくかたちを写しとり、彼の語る言葉に耳をかたむけて、いつか物語を編もうと思う。 保坂和志「小説の自由」読む。 小説を書くための大切な秘密を、全力で伝授してくれるすごい本。 技術論ではなく、小説を書くときの作家の状態(霊的な、と書いていいと思う)を、まん中からぱっくりふたつに割るようにしていちばん奥の核まで見せてくれる。 このひとの小説を、わたしはなかなか最後まで読み通すことができないのだが、小説論はとても肌にあう。 もちろん「すらすら読める」「わかりやすい言葉を選んで書かれた」文章ではないので、読みすすめるのに一定の労力を要するのだが。 カポーティの「冷血」、読みすすめるのが辛くてしおりを挟んだまま置いてあったのだけど、気力と体力が満ちているときに読み通しておこう。 村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話」。 学生や若い翻訳家の質問に答えるかたちで、ふたりの翻訳家の対談が進んでいく。 子供のころから、日本語に翻訳された外国の小説を当たり前のように読み漁ってきたけれど、そこにはいつも、小説の世界にどっぷり入りこんで言語を置き換える翻訳家の存在があったのだなあ。 成り立ちも、文化的な背景も違うふたつの言語体系の間を行き来するなんて、考えてみれば魔法使いみたいな仕事。職人技だ。 村上春樹の「ビート」と「うねり」の話が興味ぶかかった。 「翻訳夜話」を読んで思い立ち、1年前に買った「Coyote」、柴田元幸の号を読む。 こんな面白いものを、よく1年近くも本棚に入れて放っておいたものだ! けれど去年の9月と言えば、仕事の整理と引越しの準備で走り回っていた時期だから、辛うじて手に入れてここまで連れてきていた自分に感謝もする。 ポール・オースター「City of Glass」と「In My Pocket」。 今までオースターのさまざまな小説を読み、ぴんと来なくては離れてしまう、ということをくり返していたけれど、やっと「カチリ」とはまる瞬間がおとずれた感じ。 一度その作家の「鍵」を手に入れると、翻訳ものに入り込むのは比較的やさしい。時には、日本の作家の作品に入り込むよりも。 オースターの小説、もう一度ちゃんと読み返してみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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