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カテゴリ:読書日記
町田康「告白」読む。 すさまじい吸引力。最初の三ページで完全に引っ張り込まれ、あとはもう最後のページまで、流れに身を任せてついてゆくしかない。 河内音頭に唄われる、「河内十人斬り」の城戸熊太郎が主人公。 熊太郎がなぜ谷弥五郎とともに村人十人を斬殺するに至ったか、少年時代以降の心の動きが、670ページにわたり徹底的に書き尽くされる。 とは言え描かれるのはあくまで熊太郎の思考なので、凄惨な印象は薄い。 「こんなことまで!」と思うような微細な心の動きも容赦なくつかまえて、すべて書き言葉に変える。 それでいて決してしつこさはなく、むしろ執拗な描写が心地いいリズムを作り出している。 読み手が「ちょっと疲れてきたな…」と感じる直前、そのことをまだ自分でも意識しないうちに、町田康独特のロックでうねりのある文章が挿入され、また小説の世界に引き戻される。 * 犯罪の善悪とは別の次元で、加害者にも必ず何らかの「理由」がある。 …と、どんなに説明され頭で理解したつもりでも、以前はどこか腑に落ちない部分があった。 そんなこと言ったって、目の前に圧倒的な痛みと悲しみと不在がある。 それらを生み出したのは加害者の自分勝手で理不尽な暴力だ。 理由ってなんだ、そんなに大切なものなのか、と思っていた。 「告白」には、(フィクションとしての)ひとつの理由が提示されている。 調書に記すための、裁判で読み上げるためのものでない、本当に本物の理由は、犯罪を犯した彼や彼女の人生を一から洗い出し、思考を忠実にたどらなければ、きっとわからない。 嶽本野ばらも「タイマ」で似た主旨のことを書いていたっけ。 ふつうに考えれば、その作業には彼や彼女の人生と同じだけの時間がかかる。 けれどこの本の、最後のページを閉じるとき、「あ、腑に落ちた」と初めて思った。 熊太郎(本物ではなく、町田康が生み出した)にとっての理由が、すっと納得できた。 しつこいようだけれど、善悪の判断や感情とは別の部分で。 それは町田康が、ここまで入り込んで本当に戻ってこられるのか、というぎりぎりのところまで深く潜って書いているからだと思う。 あともう半歩でも踏み込めば二度と帰ってこられない、その崖っぷちでバランスをとりながら全力で、勘違いでなければたぶん、書き上げたら死んでもいいような気で書いている。 小説の力。というものを思い知らされる一冊だった。 圧巻。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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