|
カテゴリ:読書日記
温泉の帰りみち、石けんやらシャンプーを入れたお風呂かごを抱えて歩いていて、何気なくサンダルの足もとをみたら、でっかい四つ葉のクローバーと目が合った。 かがみこんで手にとる。 いくらか虫くいはあるけど、堂々とした立派な四つ葉。 クローバー畑で葉っぱをかき分けているときはちっとも見つからないのに、出会うときにはこうやって、突然目の前にあらわれるのだよな。四つ葉のふしぎ。 どこで押し葉にするかしばし書斎で迷い、広辞苑「クローバー」のページにはさんでおくことにした。 10年か20年先、あるいはわたしの子供や孫が、「黒髪」や「クレンザー」について調べたくなったとき、はらはらと舞い落ちてくるはずだ。 ジャネット・ウィンターソン「灯台守の話」 「わたしたちの家は、崖の上に斜めに突き刺さって建っていた。椅子は残らず床に釘で打ちつけてあり、スパゲティを食べるなんて夢のまた夢だった」 最初のページでこの数行を目にすれば、斜めに傾いだ家のかたちを思い浮かべずにはいられない。 私生児として生まれ、すべり落ちないために母さんと体をひとつに結びつけて育ち、やがて灯台守見習いとなったシルバー。 灯台守のピューが夜ごと聞かせてくれるふしぎな物語の主人公、バベル・ダーク。 ふたつの人生が交錯し、物語にみちびかれて、シルバーは旅に出る。 風のひと吹きでちりぢり、ばらばらになってしまいそうな、あやうい物語の断片たち。 それでいて、夜の真ん中にそびえたつ灯台のような、強烈な求心力もある。 ふたつの相反する力をあやつり、ぎりぎりのラインで物語を成立させるバランス感覚において、ウィンターソンというひとはたぶん、天才なのだと思う。 「物語」という概念が、この小説のひとつの大きなテーマになっている。 かつて、地図の読めない海の男たちは、世界中にちらばる灯台を物語でおぼえた。 物語を語ることが、灯台守の大切な仕事だった。 やがて灯台は無人化され、物語は忘れられた。 ほんとうに? ほんとうに忘れられたんだろうか。 それは世界のどこか、バベル・ダークが見つけた岩の割れ目のような秘密の場所に、ひっそりと隠されているのかもしれない。 それを探しに出かけ、掘り出してメッセージを聴きとり、人びとが読むことのできる共通の記号、言葉に変換するのが、たとえばウィンターソンのような、作家の仕事なのかもしれない。 盲目の灯台守ピューのように、みえない目で、かたちのないものに光を与える。 物語は、パンや水のように、命をつなぐために必要なのではない。 それは、墨汁を流したような夜の海で旅をつづけるための、ささやかな目じるし、道しるべだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書日記] カテゴリの最新記事
|