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カテゴリ:読書日記
バルガス=リョサ「楽園への道」読む。 文学の最先端はいま、南米にあるらしい。 欧米や日本ではよってたかって暴きつくされてしまった神秘や熱狂、地下ふかくに沈められたエネルギーが、かの土地にはまだ無限に残っているだろうことは、わたしの貧困な想像力でもなんとなく理解できる。 バルガス=リョサはペルー生まれの作家。 「楽園への道」は、池上夏樹が個人編集した世界文学全集の2冊目に選ばれている。 パリをはなれ、楽園をもとめてはるかタヒチへ移り住んだ画家、ポール・ゴーギャン。 その祖母で、今でいう社会主義者の先駆となったフローラ・トリスタン。 ふたりの人生のクライマックスが、いくつかの章にわかれ、交互に語られる。 ゴーギャンはタヒチへ渡り、パリに戻り、ふたたび海を渡ってさらに奥地のマルキーズ諸島へ。 フローラは何かにとりつかれたようにフランスの町から町へ、労働組合の必要を説く演説をして回る。 並行する語りが交わることはないけれど、ふたつの物語は思わぬ地点で呼びかけあい、響きあい、次第にあるひとつのリズムを刻みはじめる。 その「リズム」に大きく影響しているのが、独特の文体。 いま、日本や欧米で書かれる小説のほとんどは、一人称もしくは三人称で語られるけれど、「楽園への道」は二人称、作家がゴーギャンやフローラに語りかけるかたちをとっている。 解説によると、著者は騎士道小説(「ドン・キホーテ」はそのパロディで有名)に影響を受けてこの文体を選択しているらしい。 ともあれ二人称の文体で、説教がましくならず小説を最後まで引っ張っていくには、高度な技術とセンスを要する。日本語でも、スペイン語でも同じだろう。 その上、最後まで途切れないすさまじい吸引力と、全体性。綿密で根気づよい取材にもとづく、圧倒的なリアリティ。 この作家にとって小説はただの娯楽でなく、政治であり、命がけの事業なのだろう。 * ゴーギャンの有名な絵は、美術館や画集で何枚か見たことがあるけれど、あらためて向かい合いたくなって、インターネットで調べてみる。 われわれはどこから来たか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか。 あなたが死の寸前に夢みたというこの東の涯ての国で、21世紀の女が、小さな機械を操作してあなたの絵をみている。あなたは「狂ったオランダ人」と同じくらい有名になり、いまやその作品は信じられないほどの高値で取り引きされている。こんな世の中になるなんて、誰が想像したでしょうね、コケ。 1世紀を隔てた今も、わたしたちは「楽園遊び」をつづけているのですよ。ここは楽園じゃありません。次の角へ行ってください。ねえ、フロリータ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.02 14:23:13
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