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カテゴリ:読書日記
秋。 公園を歩いて、体があたたまったらベンチに座り、本を読むのが晴れた日の日課。 * クレストブックス創刊十周年のアンソロジー「記憶に残っていること」読む。 新潮クレストブックスが十年間に刊行した短編集のなかから、堀江敏幸が選んだ十篇が収められている。 もともと、短編に豊かな実りの多いクレストブックスの中から、短編の名手が十篇を選びぬくというのだから、面白くないはずがない。 デザート盛り合わせ、いやいや、塩味も辛味も、苦味もあるからデギュスタシオンのような、ぜいたくなひと皿。 アリステア・マクラウドも、ジュンパ・ラヒリも、アンソニー・ドーアも、イーユン・リーも、みんな一冊の中に収まっているなんて夢のようだ。 世界の名人たちの作品には、それぞれ長編なみの深みと味わいがあり、ひとつ読み終えるごとに深い満足を得られる。 すぐれた短編には、かならず小さな引っかかりが用意されていて、最後まで読みとおせば、それが心に残るようになっている。 ふだんは意識することのない引っかかりだが、時を経て、ふとした拍子によみがえることがある。 日常の何気ないできごとや、流れてゆく感情が、以前に読んだ物語と呼応して、自分でも思いがけない記憶がずるずると引き上げられてくるのだ。 魚とりの網に引っかかってくる片方だけの長靴や、ほつれた海草のかたまりや、さびたキャンディの空き缶みたいに。 たとえばそれは、 デイヴィッド・ベズモーズギス「マッサージ療法士ロマン・バーマン」の冷えたアップルケーキ。 アンソニー・ドーア「もつれた糸」の手紙は、渡してはいけない相手に渡ってしまう。 アダム・ヘイズリット「献身的な愛」の靴箱は、姉弟のおだやかな暮らしの底にしずむ、絶対的な孤独の象徴だ。 ジュンパ・ラヒリ「ピルザダさんが食事に来たころ」の、こわれたカボチャランタン。少女はキャンディの甘さと共に、「不在とともに在る」ことを幼い心に刻みこむ。 イーユン・リー「あまりもの」で、林ばあさんが持ち歩く弁当箱。理不尽で、ときどき幸福なその人生は、冬の朝の空気みたいに、凛と澄んでさわやかだ。 アリステア・マクラウド「島」の舞台には、テーブルの形をした大きな岩がある。灯台を守って暮らす女の生を、たったひとつの恋が、はりつめた糸のようにまっすぐつらぬいている。 堀江氏の解説「人はなにかを失わずになにかを得ることはできない」の最後の一行を読み終えたところで、これはデギュスタシオン、テイスティングなどではなく、世界最高峰のフルコースだったのだなあ、と気づく仕掛けになっている。 手もとにおいて、節目ごとに読み返したい一冊。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.20 10:32:27
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