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カテゴリ:読書日記
福岡伸一「生物と無生物のあいだ」を読む。 著者は分子生物学者。人類がDNAの「地図」を解きあかす、その黎明期の物語が、スリル満点、たくみな比ゆに満ちた、詩的な文章で語られる。 読みはじめてまず気づくのは、言葉のえらび方と、その配置の美しさ。この場所にはこの言葉しかない、ほかに代わる言葉はないと読むものに感じさせる。 たとえば第三章、「物質のふるまい」「研究の質感」といった表現、あるいは第一章、ロックフェラー大学の図書館を描写した一節。 「実験の合間に、私はしばしばその地下道を抜けて二十四時間開いている図書館に行った。そしてよく手入れの行き届いた気持ちのいい苔色の椅子に深く腰をかけてそっと深呼吸をした。静謐な図書館はふだんあまり人気もなく、ひとり日本を飛び出してこの地にやってきた私にとって心安らぐ場所であり、人知れず感傷にひたれる場所でもあった。」(p.17) 読みすすめるうち、文体だけではない、ミステリーとして、ストーリーのおもしろさも兼ね備えた本だということがわかってくる。 緩急をつけた展開の巧さ、そして結末のあざやかさ。 何よりも「生命」ということについて、分子生物学の視点から、しかしその枠にとらわれずじっくり思索をふかめた末にみちびかれた、ひとつの答え。 科学の可能性からも、同時に限界からも逃げない真摯さを感じる。 それはきっと、なぜ生物は「生きて」いるのか、そもそも「生きて」いるとは何か、少年の日に抱いた最初の問いを、多忙な研究生活の中にあっても、著者が守りぬいてきたからなのだと思う。 目にはみえないもの、ヒトの身体能力や感覚器官の外側にある世界の存在を、私は信じている。 見えないものの重要性を強調するために、「科学がすべてじゃない」とか、「遺伝子の謎解きは、人間が踏みこんではいけない領域だった」と口にしたこともある。 けれど、その「科学」や「遺伝子」について、そもそも人類が何を知っているか、何を知らないか、私はちっともわかっていなかったのだ、と目をひらかれる思いがした。 知識そのものが善や悪なのではない。 そこに利用法を見出し価値を付け加えるのは、結局、それぞれの人間なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.27 10:17:08
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