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カテゴリ:読書日記
身のちぢむような寒さにもかかわらず、2、3日天気がいいとはりきって咲きはじめるヴェランダのカーネーション。 ひと月にひとつずつつぼみがほどけて、いまはこの冬3つめの花が満開です。 * インフルエンザで高い熱が出ているあいだ、熱を下げるために抗生物質をのんでいました。 6時間以上空けて、1日2粒まで。 薬の効きめは5時間ほどで、1日は24時間あるので、高い熱に耐えなければならない時間が、一日の半分くらいはあります。 布団と毛布をありったけかぶってがたがた震えながら、「いつもより少し死に近いときの感じ」をじっと観察する。 異物を体の外に追い出し、生きのびることに全精力をかたむける体のようす。 そのうち、熱にうかされた頭に、今までに見たきれいな景色が、順番にうかんでくる。 屋久島の森。グリーン島の海。夜明けの雪景色。夕日にかがやくクジラの尾びれ。 クジラの尾びれ? ああ、そうか。 クジラの尾びれは、自分の目で見たんじゃない。 熱が下がったときにめくった星野道夫さんの本で見たんだ。 「森と氷河と鯨」。副題は「ワタリガラスの伝説を求めて」。 南東アラスカを旅する中で、いつからか著者の心をとらえるようになったワタリガラスの伝説。 はなれた土地で生きる別の部族の人びとが、なぜよく似たワタリガラスの神話を語り伝えているのか。 さらに言えばわれわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。 その大きな問いをひとつの軸に、印象的な写真ととぎすまされた文章でアラスカを切り取ってゆく、息をのむような美しい本だ。 「森と氷河と鯨」は1995年から「家庭画報」に連載され、予定回数をあと3回のこしたところで、突然の事件によって終了を余儀なくされた。 1996年8月8日、取材のために出かけたカムチャッカ半島で、就寝中のテントをヒグマに襲われ、星野道夫さんはその生涯を閉じる。 だからこの本は、アラスカの自然に魅了され、そこに住む人々を愛しつづけた著者の、最後の旅の記録でもある。 星野道夫さんの本をひらくと、いつも「もうひとつの世界」の気配をはっきりと感じる。 天国とか地獄とか、死後の世界ということとは少しちがう。 今、自分が呼吸して、足を着けて歩いているこの地面のつづきに、海をへだてて、鮭がのぼってくる川や、それを食べにやってくる大きなクマや、地鳴りのように移動するカリブーの巨大な群れがあるのだということ。 「時間」というものは何種類もあって、日常の自分はそのほんの一種類を生きているにすぎないのだと思うと、気持ちが空へ向かってひらけてゆくのを感じる。 どこへでも行けるし、何にでもなれる。心からのぞめば動物にだって、森の木にだって。だから自分はひとりではない。世界に抱かれている。そんなことを思う。 そう言えば、この間出た「クウネル」に、幸田文さんの特集があった。 その中で娘の玉さんが、文さんの言葉として、こんなふうに話していた。 「よくいっていました。おばあさんがただ寝てたってつまらない。病んで動けない時に、じーっと思い出してるだけで気持ちが動くような、目の中にしまっとけるものがあるといいよって」 目の中にしまっておけるもの。 いつでも眺められる、ひょっとしたらあの世へ行くときにも持っていける宝物。 そんな景色や時間を、おばあさんになるまでに、あといくつ集められるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.14 20:50:36
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