|
カテゴリ:読書日記
ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」を読む。
訳者の須賀敦子さんをして「羨望と感嘆のいりまじった一種の焦燥感をさえおぼえた」と言わしめるこのイタリアの私小説は、ひと癖もふた癖もあるナタリアの父親と、彼が愛した山歩きの描写で幕を開ける。 「なんというロバだ、おまえは!」と家族を怒鳴りつける父親におどろき、その父がこよなく愛する山歩きを「悪魔の一味のいっせい休暇」と呼びならわしてなんとか逃れようとするお茶目な母親の姿にくすりと笑っているうち、この風変わりな家族にすっかり愛着がわいている。 家族の思い出をたどるこの小説に命を吹きこんでいるのが、タイトルにもなっている家族の「会話」、印象的な言葉たちだ。 家族の言葉について、作者はこんなふうに書いている。 「私たちは五人兄弟である。いまはそれぞれが離れたところに住んでいる。なかには外国にいるものもある。たがいに文通することもほとんどない。たまに会っても、相手の話をゆっくり聞くこともなく無関心でさえある。けれど、あることばをひとつ、それだけ言えばすべて事足りる。ことばひとつ、言いまわしのひとつで充分なのである。あの遠い昔の言葉、何度も何度も口にした、あの子供のころの言葉で、すべてがもと通りになるのだ。(中略)どこかの洞窟の漆黒の闇の中であろうと、何百万の群集の波の中だろうと、これらのことばや言いまわしのひとつさえあれば、われわれ兄弟はたちまちにして相手がだれだか見破れるはずである」 * 時系列で、家族のアルバムをめくるように進むおだやかなこの小説は、しかし、子供たちが成人するころから、その色合いを変えはじめる。 舞台となるイタリアでムッソリーニが台頭し、両親が社会主義者だったナタリアの家族も反ファシスト運動に巻き込まれてゆく。 父や兄、自身の夫に降りかかる過酷な運命を描くときでさえ、ナタリア・ギンズブルグの筆は揺らぐことがない。簡潔で淡々とした文体がつらぬかれる。 抑えた表現だからこそ、行間には深いなつかしさがにじむ。 笑いながら読み流していた、遠い日の父の「名言」、何気ない団らんの場面を思い起こさずにはいられなくなる。 ああ、そうか。須賀敦子さんの文体によく似ている。 翻訳したのが須賀さんだから、というばかりではなく、ギンズブルグと須賀さんには、表現について、もともと通じるものがあるのだと思う。 若いころのギンズブルグは「女性的な、感性だけにたよった文章を書くことをなによりも恐れていた」と、須賀さんは解説で述べている。 「『男性のように書かねばならない』とたえず自分に言いきかせ」、「できるだけ自分本来の感性から遠い文体で作品を書くことを自らに課した」という。 そんな作家が、ふと自分を縛りつけていた鎖を解きはなって、「話しことば」で書き上げたのが「ある家族の会話」だと須賀さんは記す。 ギンズブルグは「『男のように書く』というストイックな修業の積み重ねを通して、はじめて文学とよばれるにふさわしい文体ないしは作品を生んだ」のだと。 これは想像にすぎないが、異国で若くして夫をうしなった須賀敦子さんも、あるいはギンズブルグと同じように「女性であることに甘んじてはいけない。感性だけにたよって書いてはならない」と自分に言い聞かせた時期があったのではないだろうか。 書くことで自立しようと覚悟を決め、自分を律しながら書いてきたその年月にそぎ落とされて、あの端正で静けさに満ちた文体が生まれたのではなかったろうか。 * 「ある家族の会話」の終盤、夫のいない不安な一夜を明かしたナタリアと子供のもとに、幼なじみのアドリアーノがたずねてくる場面がある。 時代の影が落ちたセピア色のアルバムの中で、そこだけ鮮やかな色がついたようにはっとさせられる場面。 例によって、ブログに引用させてもらう文章としてはすこし長いのだけど、およそ45年前にイタリアで初版が出版されたこの本の魅力を伝えることになると信じて、引き写したいと思う。 「北にいる、ひょっとしたらもう二度と会えぬかもしれない父母たちのことを考え続けた孤独と恐怖の長い時間の果てに、あの見なれた幼なじみのアドリアーノがあの朝、私の目の前に現れたときの深い安堵の気持を私は生涯忘れないだろう。そして部屋から部屋へ散らかった私たちの衣類や子供たちの靴などを次つぎと背をかがめてひろい歩く、謙虚で慈愛に満ちた、忍耐強い善意にあふれた彼の姿を私は決して忘れることがないだろう」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.19 11:36:38
コメント(0) | コメントを書く
[読書日記] カテゴリの最新記事
|