|
カテゴリ:読書日記
ジェネット・ウィンターソン「オレンジだけが果物じゃない」を読む。 邦訳は岸本佐知子。 「灯台守の話」でも感じたことだが、 ウィンターソン×岸本佐知子 という組み合わせは、 ナタリア・ギンズブルグ×須賀敦子 と同じくらい幸福な出会いだと思う。 違う文化、違う歴史、違う言語体系で書かれた文章を、これほど魅力的な日本語に置き換えることができるなんて! どんなに精巧なロボットがつくられても、人工知能が発達しても、人間の知恵がなければ成り立たない仕事のひとつが翻訳だと思う。 いつか、自動筆記マシーンが小説をつづる日がきても、翻訳を彼らにまかせることはできないはずだ。 「オレンジだけが果物じゃない」は、ウィンターソンの自伝的処女作。 主人公ジャネットの母は、あるキリスト教宗派の熱狂的な信者だ。 そんな母親の英才教育を受けて育ったジャネットは、幼くして説教壇に立つまでになる。 教会と家を拠り所に成長してきた彼女の運命は、しかし、初めて恋を知ったことをきっかけに、大きく動きはじめる。 ウィンターソンの語り口は軽快で、ユーモアと知的な皮肉に満ちている。 一方で、はっとするほどの純粋さや、身を切るような繊細さがのぞくこともある。 その想像力は、どんな枠にもとらわれることなく、どこまでも羽ばたいて新しい世界を見せてくれる。 ウィンターソンの作品の大きな魅力のひとつが、ストーリーの合間にふと挿しはさまれる異界の物語や寓話だ。 現実とファンタジーが混ざりあい、折りかさなって、読む者の心に忘れがたい不思議な余韻を残す。 小説の終盤、ウィンターソンは主人公ジャネットにこんなことを語らせている。 「わたしはつねづね考えている。人生で何か大事な選択をするたびに、その人の一部はそこにとどまって、選ばれなかったもう一つの人生を生きつづけるのではないか、と。人によっては発する念がとても強く、まったく違うもう一人の自分をさえ創りだす」 ここから先はわたしの想像だが、ファンタジーとは絵空事ではなく、この現実に並行して存在する、もうひとつの世界なのではないか。 そこには「完璧を求める王子様」や、選ばれなかったもう一人の自分や、魔法つかいだっているかもしれない。 長い人生の中では、その世界の存在が救いになることもままある。 たとえば密室の通気孔のように。高い天井にあけられた天窓のように。新鮮な空気や朝の光をそこから体に取りこんで、現実に立ち向かっていかねばならないときが。 暇つぶしや娯楽としてではない、一種の生命線としてのファンタジーということを、この本を読みながら考えていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.23 11:09:20
コメント(0) | コメントを書く
[読書日記] カテゴリの最新記事
|