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カテゴリ:読書日記
一日のなかで、その本をひらく時間が、特別なひとときになる読書がある。 あわただしい一日をすごしても、気がかりなことがあっても、ページをめくれば、いつでもその場所へ戻ることができる。 小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」も、そんなゆたかな読書の時間を約束してくれる小説だ。 主人公の少年(のちに、リトル・アリョーヒンとよばれることになる)は、バス会社の敷地に置かれた回送バスの中で、8×8のチェック模様に塗られたテーブルに出会う。 そして、マスターとよばれる男にチェスを教わる。 それが、盤下の詩人、リトル・アリョーヒンの伝説のはじまりだった―― 小川洋子の小説は、刺繍でひと針ずつ描かれた絵や、気の遠くなるような時間をかけて織り上げられたタペストリーを連想させる。 どんなに短いエピソード、文章、言葉ひとつにも、選びぬかれそこに置かれた理由がある。 それはまるで、リトル・アリョーヒンの指すチェスの一手、一手のようだ。 たとえば、回送バスに迷いこんできた少年に、マスターがある言葉をかける。 物語の全体を通して、少年のチェスを支える大切な役割を果たす言葉だ。 その言葉を最初に見つけたとき、わたしはため息をつかずにはいられなかった。 どれほど注意ぶかい思索の時間の果てに、このごくみじかい言葉がえらばれたのかを思うと、とても読みとばすことができず、一度本を閉じて言葉を胸のなかにひびかせた。 「猫を抱いて象と泳ぐ」は、360ページの長編にもかかわらず、全篇に緊張感が満ち、詩のような美しい文章でつづられている。 中でもきわだっているのは、やはりリトル・アリョーヒンがチェスを指す場面だ。 読者はリトル・アリョーヒンと共におどろき、手に汗をにぎり、盤上で奏でられるハーモニーに耳を澄ませて、深い満足を味わう。 64の正方形の上で、白黒それぞれ16の駒を動かすという「ただそれだけ」のゲームが、こんなにも奥ぶかいものだったなんて、と呆然とせずにはいられない。 物語のつづきを知りたい、早く結果を見たいという読みかたではなく、ページのあいだを、行間を、言葉と言葉のあいだをさまよい、一行読んでは目をつむってその余韻をたのしむ、という読書のよろこびを、最初の一行から最後の一行まで味わうことのできる名著だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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