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カテゴリ:読書日記
ちびくま、生まれて半年。 寝返りに加えてずりばいらしきものをマスターし、寝室に寝かせておいたのが、ごろごろずりずり移動して居間に顔を出していたりする。 支えてやればおすわりもできるし、わきの下を持ってひざの上に立たせると、足をぴんとのばしていっちょまえに立ってみせる。 手の届く場所にあるものは、何でもぎゅっとつかんで引っぱって口に入れようとする。 おもちゃやタオルはまあいいとして、母さんのほっぺたをつねり、父さんの上着のファスナーを引き下ろし、つかむものがないときは自分の足の指(!)までしゃぶっている。 毎日どんどん大きくなるのはとてもうれしくて、でも、きのうのちびくまにもう会えないことが少しさみしいような、ふしぎな気持ち。 長田弘「詩の樹の下で」を読む。 先月、ひさしぶりに上京する機会があり、30分だけ空いた時間で銀座の教文館に立ち寄った。 ゆっくり棚を見てまわる余裕はなかったけれど、ちびくまにお土産の絵本を一冊、そして自分には「詩の樹の下で」を買った。 この人の言葉が持つリズム、文章のたたずまいは、わたしをいつも、環境や心身の状態に左右されない、自分の中心に近い場所に連れていってくれるように感じる。 口ずさめば、今日という一日が、昨日と同じ繰り返しではないことを思い出す。 日々の暮らしの中に、窓を開けて新鮮な風を入れるような気持ちで、大事にページをめくる。 福島出身の詩人が、あの日のことを綴った「人はじぶんの名を」という文章があった。 「人はみずからその名を生きる存在なのである。 じぶんの名を取りもどすことができないかぎり、人は死ぬことができないのだ」 今は少し慣れたけれど、ちびくまが生まれてしばらくの間、誰かが息子の名を口にしたり、書類や郵便物に印刷されているのを見るたびにどきっとした。 名前を決めたのは、母親であるわたしと、父親のくまだ。 身ひとつで生まれてきたあたらしい人に、生涯口にし、何万回も呼ばれるであろう名前を贈る。 親になるということは、それほど重いことなのだと知った。 ル=グウィンの「ゲド戦記」でも、名前は重要な役割を果たす。 人、風、波、竜。 万物には真の名があり、その名を口にすることで、魔法使いは魔法を使うことができる。 反対に真の名を知られれば、かれの魔力はうしなわれ、丸裸で敵の前に立つことになる。 だから主人公ゲドも、ふだんは「ハイタカ」という通り名を名乗っている。 名を明かすことは、相手に自分の魂を託すことだ。 「詩の樹の下で」のなかに、「秘密の木」という詩があった。 息子が、自分の力で真の名を見つけ出せるほどに大きくなったら、この詩を贈りたいと思う。 「うつくしい大きな木が抱いている、この世でもっとも慕わしい、しかし、もっとも本質的な秘密。うつくしい大きな木のある場所が、小さな存在としての人の生きてきた場所なのだという秘密。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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