|
カテゴリ:読書日記
片岡直子『ことしのなつやすみ』を読む。 詩人のエッセイ集というので、ちびくまが眠ったあと、言葉の海に浮かんでのんびりするつもりで手にとった。 『産後思春期症候群』という詩集で、H氏賞を受賞した詩人なのだそうだ。 部屋をうす暗くして、ソファに寝転んで、眠りぐすりがわりに読みはじめたんだけど、読みすすめるうち、熱を帯びた言葉にだんだん目がさめてきた。 「こわれそうな夫たち」と題された文章にたどり着いたところで、ついに完全に起き上がる。 「ちょっと夫をながめてみよう。 優しいひとほど、まるで、私たちの親の世代の母親がそうだったように、胸を痛めて、我慢していたりする。」 仕事で疲れていても、わたしのやつ当たりに付き合ってくれるくまを思い出して、胸がちくっとした。 「私は、育児に協力を強要することで、夫に依存していたと思う。自分の夢のために仕事を辞めたのに、夢が果たせなくて、展開のないつらさを、夫にぶつけていた。」 自分のことが書いてあるのかと思った。 寝ぼけた頭をうしろからがーんとなぐられたような気がした。 「子育てが、なんでつらいのか、本当につらいのは子育てなのか、つらさを解消する道を、本気でさがさないで、子育ての負担に関しても、それを軽くする工夫をしなかった。」 あるいは、専業主婦の孤独についてのこんな一節。 「きっちりひとり分の孤独を抱えて生きる。あるいは、いくつかの孤独を抱えて生きる。お腹のなかで、しんしんと冷えてゆく私や誰かの孤独。それはそれで、味わい深い日々だと思う。」 赤ちゃんを抱いて、揺らしながら詩を書きつづけてきた人の言葉が、今のわたしの心にずんと響いた。 すっかり眠気は覚めてしまったから、カフェインの入っていないコーヒーをいれて、書かれていたことをひとつずつ考えてみる。 育児や家事に追われあわただしく過ぎていく毎日の中で、わたしは、夫とも子供とも離れたところで、ひとりの自立した女性であることを忘れそうになっていたのかもしれない。 もう、妻や母であることを言い訳にするのはよそう。 一日三十分でも十五分でも、ちゃんと自分と向き合う時間を持とう。 そんなふうに気持ちをしゃんとさせてくれる、ひさしぶりに刺激的な読書だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書日記] カテゴリの最新記事
|