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カテゴリ:読書日記
この夏から、南の島で暮らすことになりました。 新しい暮らしに慣れるには少し時間がかかりそうですが、ここはとてもいいところ。 朝、目が覚めると、本州では聞き慣れない鳥の声がする。 海からの強い風が吹くと、生命力の強い植物たちが、応えるようにざあっと揺れる。 海まで、車で15分。 「ちょっと、海でも行ってこようか」とふらりと出かけ、足だけ洗って帰ってきて、家でゆっくりシャワーを浴びられるような距離です。 今日は、ちびと一緒に砂浜で珊瑚のかけらを拾って、手のひらに収まりのいいものをいくつか家に連れてきました。 『海からの贈物』のアン・モロウ・リンドバーグに倣って(彼女の場合は貝殻ですが)、ときどき珊瑚を手に取りながらこの文章を書いています。 * あわただしい引っ越しの最中、ふわふわしがちな気持ちを鎮めるように、毎日少しずつ大切に読んでいた本。 最相葉月『セラピスト』。 新刊が出れば必ず追いかけている文筆家、最相葉月さんが、今度は心の病の治療とカウンセリングをテーマにすると知って、これは必ず読まなければ!と思っていた。 読みはじめて2ページ目、中井久夫先生の名前を見つけて「あっ」と思う。 神戸で仕事をしていたとき、阪神大震災のことを調べる中で中井先生の著作に出会い、その静かな語り口にひかれ、知識のためというよりは、むしろ自身の精神安定のために、随筆を読むことを楽しみにしていた。 それから、河合隼男先生の箱庭療法。 そして、『夜と霧』の翻訳者として知られる霜山徳爾先生の名前も。 めくるめく豪華な登場人物に、読み進めながらくらくらとめまいがする。 心理学に関する本をむさぼり読んでいた、10年くらい前の記憶がよみがえる。 歯車が噛み合わなくなるように、日々のいろいろなことがうまくいかない気がして、バランスを崩していた時期があった。 カウンセリングも、絵画療法も経験がある。ロールシャッハも、バウムテストも知っている。 遡れば子供時代に、箱庭療法を受けたこともある。 井戸の底で膝を抱えて、丸く切り取られた青空を見上げるような感覚で、生きていたように思う。 外の世界に救われる方法を探してじたばたしたけれど、最後に結局、自分の心と向き合って生きていくしかないという結論に達した。いいところも、しょうもないところもたくさんある、この心。 『セラピスト』に登場する治療家たちは、全身全霊人生をかけて、しかし臨床の現場ではあくまでさりげなく、クライエントに寄り添い、彼らの心と真摯に向き合っていく。 最相氏の端正な文章でその営みを読んでいたらなんだか泣けてきて、あのころの自分まで救われるような気がした。 * 大きな環境の変化や、心身に無理を強いなければならない状況が続いて苦しいとき、祈りのように唱える言葉がある。 『セラピスト』の内容からは少し離れてしまうけれど、読み終えた後最初に思い浮かんだその言葉を、引用してみたいと思う。 「孤独は長くつづいた愛のように、時とともに深まり、たとえ、私の創造する力が衰えたときでも、私を裏切ることはないだろう。なぜなら、孤独に向かって生きていくということは、終局に向かって生きていく一つの道なのだから」(メイ・サートン『海辺の家』より) 読書日記 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.17 01:07:51
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