|
カテゴリ:子育て日記
子どもを持つことは不自由になることだと、長い間思っていた。 生まれてきてしばらくは、好きな時間に眠ることも、ゆっくりごはんを食べることもできない。 少し大きくなるとずっとお母さんの後をついてくるから、ひとりでほっとする時間はおろか、トイレにもゆっくり入っていられない。 こんな不自由な状態がいつまで続くんだろう、早く自由になりたい…と思っているうちに、息子は4歳になった。 毎朝、大きなリュックサックに着替えをつめて元気に保育園へ出かけていく。 最初のころは泣いて「行きたくない」と言うこともあったけれど、いつの間にかそんなこともなくなった。 ニコニコ笑いながら手を振って、一度も振り返らず友達のところへ駆けていく。 さっきまでつないでいた手を見つめて、ふと寂しい気持ちになったりするのだから、親なんて勝手なものだ。 気持ちに少し余裕ができて、ようやく気づいたことがある。 子どもが生まれて、物理的には不自由なことがたくさんある。 でも、私の精神は、子どもを産む前とは別人のように自由になった。 小さな息子には、まだできないことがたくさんある。 みそ汁を引っくり返し、トイレに失敗し、靴下を履くのに信じられないほど長い時間がかかる。 そのひとつひとつに苛立ってしまうとき、私はたぶん、できないことがたくさんある自分自身にも苛立っていたのだと思う。 未熟な親だった私も、いつのころからか、少しずつ「この子にはまだできないことがたくさんあって、これからひとつずつできるようになっていくんだな。かわいいな」と感じられるようになった。 するといつの間にか、自分自身の未熟さも受け容れていることに気がついた。 私の中に住んでいるいじけ虫の小さな女の子を、楽天的で社交的な息子が手を引いて外に連れ出し、新しい世界をたくさん見せてくれた。 子どものころからずっと文章を書く仕事がしたくて、けれど思いの強さのあまり、叶わないことが怖くてがんじがらめになっていた私が、好きな仕事への一歩を踏み出すことができたのも、ある意味で息子のおかげだと思っている。 子どもを持つことは、不自由だ。 手間と時間と、気の遠くなるような辛抱強さが必要。 けれど、これほど途方もない自由をもたらしてくれる存在はほかにない。 そのことが本能的に分かるから、多くのお母さんが「二人目の育児は楽」と言うのではないだろうか。 単純に考えても仕事は二倍、物理的に楽になるはずはないにもかかわらず。 私の胎内には今、二人目の息子がいて、着々と生まれる準備を進めているらしい。 新しい子どもがどんな不自由と、自由を抱いて生まれてくるのか、とてもとても楽しみだ。 読書日記 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[子育て日記] カテゴリの最新記事
|