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2006.06.09
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カテゴリ:日本の小説
白岩玄
『野ブタ。をプロデュース』
河出書房新社

野ブタ。をプロデュース

勧められて読んだのだが、なかなか怖い本だ。

若者である私が書くのもなんだが、最近の若者は醒めているとよくいわれる。人間関係は希薄化し、肩のこる集団行動は嫌われる。クラブ加入率が低下する一方、手軽なサークルが人気を集めていることからもわかる。速水敏彦は『他人を見下す若者たち』で、感情が乏しくなり、やる気も低下し、他者を軽視し、自己肯定感を求める若者像を提示した。確かに、大学の友人知人や塾の生徒(中学生)といった私の周りの若者たち(もちろん私も含めて)は、多かれ少なかれその傾向が見られる。

『野ブタ。をプロデュース』の主人公、修二の斜に構えた見方は醒めた若者の象徴だろう。クラスに「友人」は多く「恋人」もいるが、それはうわべだけの関係で、実体は伴なっていない。クラスの連中を見る際にも常にメタ次元からの視点を心がけ、周りの人間を軽視している。
はじめは、自分だけが物事を冷ややかに客観視していると信じていた主人公が、友人も同様の視点で周りを見ていたという事実に直面し動揺するシーンが印象的である。優れたイメージ戦略で人気を保っていた主人公は、少しのすれ違いから友人によって情報工作され実体のないつまらない人間であると周囲に暴露されてしまう。その結果、虚構で成り立っていた人気は崩壊するのだが、それでも主人公はこれまでの生き方は反省しない。いじめられっこの「プロデュース」に成功した自分なら、再度自身を「プロデュース」することが出来るはずだと、他校に転校し同じ道を再び歩み始めるのである。

確かに世の中を生きていくうえで、演出というものは非常に大事なものだ。せっかく素晴らしいものを持っていても上手くそれを演出できなければ意味がない。虚虚実実の駆け引きが出来ないととても厳しいことは、それが苦手な私にはよくわかる。本当に切実な問題だ。しかし、演出に長けているだけで、実体がなければいずれぼろが出る。主人公が野ブタにしたアドバイスは、自身に対する警鐘であることに主人公は気付いているにもかかわらず、自身を「プロデュース」することで「人気者」になれると考えるのはどうしてだろうか。まあ確かに、いい人に完全になりきれる人は、たとえ性根が悪くても、いい人として通用できる。しかし、普通の小説なら空虚な虚構の人間関係を生きるのではなく、生身の人間同士の真摯な付き合いをしようと結ぶはずなのだが、そうしないところがこの本のすごさだ。
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で臭いを強調した。この本では香水の臭いが象徴的に描かれる。生身の人間の付き合いは、奇麗事ではない。臭うものである。その臭いを消すための香水が本書の鍵の一つ。繰り返される香水の臭さは、面と向かって人間と向き合うことを避けた結果である空疎な人間関係の胡散臭さをにおわせる。
もっとも本書の人間関係を空虚だ、といっている自分の現実の人間関係はどうなのかと考えると、どうもこれも空虚なのかもしれない。そのことに皆が気付いているからこそ、この本がこれだけヒットしたのだろう。昔の義理人情浪花節的な人間関係は、もう若者から共感を集めることは難しいかもしれない。

自身を成長させ物事の本質追求し「実」を重んじた時代から、要領よく立ち回り実体のない「虚」であったとしても外形の立派さを最優先で求める時代に変わりつつあることを象徴する一冊だった。





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Last updated  2006.06.15 21:28:26
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