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カテゴリ:ノンフィクション
蓮池透
『奪還 引き裂かれた二十四年』 新潮文庫 拉致家族の長きにわたる闘い、新事実が大幅加筆され文庫化。 小泉総理の訪朝により拉致問題が大きく進展したのは2002年の10月のこと。当時は本当に多くの国民が、拉致問題で北朝鮮憎しと義憤に駆られていた。本書にあったように、これまで拉致には無関心だった議員も、国民の関心が高まってくると態度をがらりと変えた。 しかし、最近は、国民の拉致問題への関心もだんだん薄れてきている。核やミサイルなど拉致以外の重大問題について冷静に考えるのはとても大切なことである。熱に浮かされていたかのような拉致問題への盛り上がりも、ひと段落つき冷静に考えるようになったのならば好ましいことだと思う。拉致問題に飽きて関心が薄れただけならば残念極まりない。拉致問題に固執することが他の問題の解決を阻害しているという論調が強くなってきているというのが、どうも関心が薄くなりつつあることの真相のようだから、おそらく前者だろう。 もちろん、拉致問題一辺倒ではいけない。北朝鮮の問題は、核問題やミサイル問題等も含め包括的に考える必要がある。日本単独で対処できる問題ではないので、他国と足並みをそろえることも大切だ。確かに、拉致よりも核やミサイルの方が大きな問題かもしれないが、だからといって拉致問題をこれで打ち切りにすることは出来ない。拉致は拉致で、重要問題である。今後どのように事態が進むのか今後も注目していきたい。 本書で印象に残ったのは、政治家や役人やマスコミの拉致問題に対するいい加減な無責任な対応。しかし、日本人の大半がそのことを特に問題視しなかった、いや関心すら持たなかったことがその背景にあるということを忘れてはいけない。 いまの国民の多くがその反動からか、「北朝鮮に制裁を」と声を大にしている。論調も過激化している気もする。私も経済制裁や資金凍結などのを措置をとるのは適切だと思う。ミサイル発射に対する先制攻撃もケース・バイ・ケースで自衛だと判断できると考えている。問題は、より過激な制裁を主張する人が、北朝鮮を刺激することによって考えうる事態に対する覚悟を、果たしてどれだけの持っているのかである。勢いに流されて過激な主張をしているだけの人も相当数いそうである。 あるときは無関心。またあるときは無責任な過激な主張。果たして国民は物事をどのくらい考えているのだろうか。北朝鮮についての世論も日本国民の政治的成熟度を測る一つのパラメーターであるといえるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.29 00:36:12
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