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2007.02.14
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カテゴリ:日本の小説
光瀬龍
『百億の昼と千億の夜』
ハヤカワ文庫


光瀬龍による哲学的SFの名作。

主要登場人物は、オリオナエ(プラトン)、シッタータ(釈迦)、阿修羅王。彼らは文明の滅びの裏に超越的な存在を感知する。アトランティスを滅ぼしたポセイドン、兜率天の荒廃を静観する弥勒、イエスに最後の審判を説かせる神。滅亡は神によって予め計画されたことだったのか。すでに滅亡した2900年代のトーキョーで、三人は《シ》の使いであるイエスと対決する。イエスを追いかけ、三人は《シ》の命ですべてを計画した惑星開発委員会があるアスタータ50にたどり着く。そこで三人が見たのは、データ化した精神を金属片に肉体をコンパートメントに納め“永遠の安らぎ”を得たという、破滅した文明の姿。そして三人は、ついに超越者と対決する。阿修羅王は弥勒から、神の滅亡を内包した計画を阻止せんとするもう一つの超越的存在を仄めかされる。そして阿修羅王は、人類の営みと超越者の計画を傍観していた輪転王と対面する。果たして「この世界の変転は実はさらに大いなる転変の一部に過ぎないのであり、それすらさらに広大なるものの転変を形成する細微な転回の一つにしか過ぎないのか」それとも「どこにあっても転変の相は一つしかない」のか。阿修羅王の前には、寄せてはかえし 寄せてはかえし かえしては寄せる波と、あらたな百億の、千億の日月があるだけだった。

上記のあらすじを読んだだけでは、どのような物語なのか上手くつかめないと思う。自分の要略する力の不足が嘆かわしい。言ってしまえば、有名な東西の神々、宗教家、哲学者が縦横無尽に地球から銀河の彼方まで駆け巡って戦うという荒唐無稽な話。ただ、単なる冒険活劇ではなく、神の存在と創世から滅亡への万物の流転の意味を探る極めて哲学的な内容を持っている。文体も重厚で格調高い。超越的な神に挑む人間というテーマは定番で、これはそのSFバージョンの中でも、傑作とよばれている部類。

私は、この手の重厚で壮大で圧倒的なSFが好きなので一気に読んだ。エンターテイメントとして十分に楽しめる作品だが、その分まじめに宗教に取り組んでる人にはどうなのだろうか?キリスト教徒が読めば激怒しそうである。冒険活劇としても面白いが、この手の作品はストーリーを押さえただけでは不十分で、主題とその作品が提示する解答を理解する必要がある。もっとも正直なところ、完全に理解できた自信はない。とはいえ、読み返す気力もない。

一言でコメントすると、この作品は「面白いが難しい。すらすら読めるが疲れる」。





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Last updated  2007.02.14 23:46:04
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