ブログ冒険小説『官邸の呪文』(4)
写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。 ブログ冒険小説『官邸の呪文』(1)(この物語に登場する人物、団体名は架空である) 主な登場人物 ・十鳥良平(とっとり りょうへい)前職は検察庁釧路地検検事正。現在は札幌の私大法学部教授・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大考古学教授・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学準教授・役立 有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥教授の助手・堀田陸人(ほった りくと)資源開発機構研究所所長 海人の兄・森倍 昭双(もりべ しょうぞう)首相・水流 侃(すいりゅう かん)官房長官・田森 博史(たもり ひろし)副官房長官(首相の側近)・南 慈夫(みなみ しげお)国家安全保障局(NSS)局長(首相の側近)・中井 直樹(なかい なおき)首相秘書官(首相の側近) (3)札幌道央大学 4月中旬。午前10時丁度、黒いマスクをした十鳥が研究室のドアを開けた。どことなく太ったカラスに似ていた。「おはよう。早いね」起立していた役立助手に言った。「教授こそ。おはようございます」役立も黒いマスクをして応えた。「何か変わったことは?」十鳥が訊いた。「教授。マスクとアルコール消毒液が手に入らないことが、十分、変わったことですよ」 そう言われた十鳥は、慌てて部屋隅にある消毒液ポンプを押した。「そうなんだよな。このコロナウイルスを舐めちゃあかんからな」「教授。また黒マスクをネット購入しますね。3,800円。50枚入りです。送料別で」「役立君。頼む。ここは2人しかいないから3密ではないが、堀田教授、榊原准教授が来たら、4密になるな」 そう言う十鳥の表情に寂しさが垣間見れた。海人と英子は、3月3日に籍を入れたが、身内だけの結婚式はコロナ緊急事態で延期していた。それ以来、十鳥は会ってはいない。邪魔するのもなんだから、と十鳥は思い携帯にも連絡していなかった。一方の海人たちは、コロナの問題もあったが、役立助手の特別授業を邪魔したくないと思っていたのだった。「教授。森部首相と官邸は、最悪ですね?」役立が訊いた。「危機管理ゼロだな。どこが世界第3位の経済大国なんだ」十鳥が言った。いつもの十鳥の口調である。「教授。不思議でならないのです」「何が?」「PCR検査数が少な過ぎることです。日本だけですので」ソーシャルディスタンスの距離をとっている役立が言う。「先ずは――東京五輪ありき。その次は――人命よりも経済を重視したからだ。そして次に――専門家会議の誰が提案したのか、クラスター潰しで感染を防げると。つまり、医学者専門家の座長らが、首相官邸の意向を忖度したのだ」「教授。それであの補償なき緊急事態宣言となったのでしょうか?」「役立君。実質、日本の財政は想像以上に悪化しているはずだ。ゆえに補償しないで済まそうと安易に考えてのことだろう」 役立助手が席を立ち、研究室の窓とドアを開けた。これでは2密でもコロナが十鳥から出て来そうだからだ。とは一瞬、役立は思ったが、十鳥がコロナに感染することを避けているのだった。「役立君。チャット画面が動いているぞ」 東京のSAT仲間から会話文が入っていた。<役立よ。元気か? 俺は自粛して家でネット等を調べている> 役立が返事した。<官邸の動きは?><森部首相と側近たちと水流官房長官に亀裂が……><それはマスコミでも書かれているけど><それ以上の亀裂ですよ><何が原因で?><色んな情報を分析していくと、ポストを巡るものじゃなく、コロナ対策補償という経済支援について齟齬があるようだ><やはり経済補償か……><そう思うよ。また連絡する。教授によろしくお伝えください><了解> 十鳥はチャット画面を凝視していた。森部首相と官邸内がコロナ対応で錯乱しているのが、チャットでも十分伝わってきた。「役立君。我々が予測している通りに、事態は不幸にも進んでいる。森部首相らは、国難と叫べば『ただ同然で国民は従う』と思い込んでいる」「教授。それがことごとく失敗している本質なんですね?」 十鳥は、役立から背け大声を発した。「変な門閥、閨閥の家で、生まれた時から自努力なしで、のうのうと苦労しないで育った2世3世のバカ息子が考えることにろくな事がないのだ。いまだ独り立ちできないから側近という介護者たちを飼うのだよ。そしてだ。単に負けず嫌いだから、さらに暴走する可能性があるのだよ。それを我々は危惧している訳だが……そうなるだろうな」 助手の役立は、十鳥の激した言葉を『2密の垂訓』とタイトルを付け、脳裏にファイリングした。(4)福住のマンション 4月下旬。GW前。海人と英子は、北方四島第1次国後島日露共同考古学調査のまとめとして、『北方四島におけるオホーツク考古学文化考(その1)』論文を書き始めていた。2人の共著である。 札幌もコロナ惨禍下の緊急事態宣言――北海道知事がいち早く発した緊急事態宣言――で、海人と英子は中国武漢の新型コロナ惨状を知った時から、完璧に自粛中だった。北海道はとりわけ中国からの観光客が多い。2人は考古学者ではあるが、「人類の歴史と疫病」に知悉していた。人類も進化してきたが、ウイルスも進化してきたのだ。人から人に感染する新型コロナ。2人の方針は決まった――ヒューマンロックダウンと名付けた自己隔離作戦! それが可能な条件を持つ2人だった。 一週間分の買い物には、サージカルマスクとビニールの手袋をつけ、頭からすっぽりとキャンピング用レインカッパ上下を着て、コロナ感染防止と用意周到だった。 マスクもビニール手袋も、そしてアルコール消毒液も発掘調査でも使用する。それらの在庫は研究室のロッカーに十分にあったのだ。海人たちはマンションの自分の玄関を消毒室とした。 2人は、なぜ日本の死者数・感染者数が少ないのか、PCR検査体制に批判を持っているが――。「俺たちは、自己防衛するぞ!」と決意した。 玄関の中。先ず、床に靴底消毒パレットを置き、都度エタノール液をパレット底の布製マットに染み込ませた。(海人たちは、内と外を区分する玄関が、コロナウイルスに有効とみた。豚コレラ、鳥インフル等でも、必ず靴底を消毒して内部に入るからだ。豚も鳥も、人間も同じだ) 上がり框手前に天上から四方の壁・玄関戸をすっぽりとビニールシートを垂らして覆っていた。そして2人は、部屋に上がる前に、互いに噴霧器でレインカッパの全身を消毒する。その時、水中眼鏡をかけ息を止める。 この防疫消毒を終えて、着ていたキャンプ用雨合羽を脱ぎ、マスクをゴミ袋に捨て、ビニール手袋を靴箱の上に並べ置いた。リビングに入る前に、手を消毒液で洗い、それから玄関脇のバスユニット室でシャワーを浴びた。 リビングで一息ついた2人は、珈琲をすすりつつ会話した。「英子さん。支笏湖美笛キャンプは連休中も閉鎖だ」「海人さん。北海道内のすべてが閉鎖ですので仕方ないですね」「十鳥さんはコロナ、大丈夫かな?」「海人さん。助手の役立さんが護衛しているはず。元SATの方ですから、防疫にも精通しているはずだわ」「十鳥さんは、素晴らしい部下を引き抜いているな」「海人さん。十鳥さんの人徳、人柄がそうさせているのだわ」「確かに英子さんの言う通りだ。どこか昼行灯の大石内蔵助と似ている十鳥さんだ。内面は強靭な精神力と信念の持ち主だ」「十鳥さんから連絡が無いのは、きっと私たちを気遣ってのことですね?」「英子さん。こうも言えそうだよ。十鳥さんから連絡が無い時は、また何かを嗅ぎつけている最中とも」「そうね。そうだわ。おとなしく遁世する方ではありませんから」「と言うことは、十鳥さんは国家権力の暗部に頭を突っ込んでいるのかな? それは何だろう? 表現が良くないけど、例の女神の悪臭か?」「ええ、きっと官邸内に漂うかすかな悪臭かも」英子が応じた。「十鳥さんの洞察力は、犬と同じ嗅覚に匹敵するようだからな」「腐敗した権力にとって、緊急事態が絶好のチャンス到来と見えるかも」「そうか――国民の多くに、その腐敗が露呈し、コロナ惨禍で更に不信感が醸成している。その通りだな。また何かを企むのか――それが魔女の悪臭か。苗字からして十鳥さんは、10の鳥が持つ‶鳥瞰〟が出来るのか」そう言って、海人はふっと溜息を漏らした。 海人の脳裏に新型の悪魔どもが浮かんできた。形はコロナウイルスとよく似ていた。(続く)