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3月30日、私の彼氏が自ら命を絶ちました。23歳でした。 人一倍責任感が強く、 完璧主義で、絶対に妥協を許さない。 しかし逆に、とても心配性で、繊細でもある。 自分には非常に厳しいけれど、他人には非常に優しい。 彼は、そんな人でした。 その彼の性格が、就職活動という嵐の中で、 彼自身をどん底に追い詰めたのではないかと思います。 深い深い、底に。 彼は常に将来の不安を抱えていて、 いつも私や彼の家族に、その事をもらしていました。 将来の絶対の安定を願い、一生続けられる仕事に就きたいと、 自らの就職活動の中で、自分にあっていると思われる仕事を、 彼は必死で探していました。 しかし、就職活動の短期間で、 仕事が自分にあっているかどうかを知ることができる時間・情報は たかが知れています。 結局は、会社に入ってみないとあってるかどうかなど、 わからないものだと思います。 そう考える私は、元気のない彼に対して、 そのように伝えて励ましていました。 彼も、それがわからないわけではなかったと思います。 しかし彼の、心配性な性格と、妥協を許さない性格が、 「もしこの会社に入ってあわなかったら、どうするんだ」 「もっと探さないと、もっと頑張らないと、いい仕事を見つけられない」 そう思わせ、自らを追い詰めていたのでしょう。 完璧主義で、責任感が強い。 これは、彼の強みでした。 しかし彼は“繊細さ”も持っていました。 彼が、自らに何度も何度も責任追及する一方、 自分の弱い心を、何度も何度も突き刺していたのです。 自らの手で。 彼はこの2~3ヶ月の間に、5キロも痩せて、 ひどい体調不良の状態に陥り、あまり元気がありませんでした。 そんな彼を、彼の家族は私はいつも励ましていました。 特にお母さんは、しょっちゅう居酒屋に連れて行ってあげて、 彼の大好きな焼酎のグラスを片手に話をしていたそうです。 「オカンが気ぃ使っていつもオレを飲みに連れてってくれるねん。 オカンの明るさにはかなり励まされてるわ~」 彼から、よくそんな風に聞いていました。 彼らの家族は、みんな親友同士のように仲がよかったので、 彼自身、家族の存在は非常に心強い支えであったのは、 私と彼の会話の中からの発言からも、間違いなかったと思います。 30日の午前、彼はお母さんに頼まれた買い物をして、 お母さんと電話で少し話をしました。 「あっおかん?今○○(←地元スーパー)におるし!」 これが、最後の彼の声でした。 この日の晩は雪が降りました。 寒くて、雨が降り薄暗かったこの日の午後、 彼は一人、どんな思いでいたのでしょうか。 就活という戦場において、 現実をまばたきすることなく見つめ、 将来の自分に対して常に最悪の想定をして、 自らに高い高い、誰にも超えられぬほど高いハードルを設定して、 圧迫面接が彼の弱さに直撃して、 様々な人達の期待を抱え、 絶対に誰にも心配をかけまいと、 ひたむきに答えようとして、 頑張って、 頑張って、 頑張って・・・。 就職活動という、暗くて先の見えない迷路の中で、 彼は道を見失い、自分を見失ったのでしょうか。 強い責任感、完璧主義、そして、弱さ。 これらが彼の精神を、一瞬にして追い詰めたのかもしれません。 彼は、首を吊りました。 暗い自分の部屋で、一人で、この世を去りました。 彼のお通夜・お葬式には、 とても多くの彼の友人が駆けつけました。 何で。どうして。 みんな、泣き崩れました。 お通夜の晩、彼の棺の周りに人が耐えることはありませんでした。 誰もが、彼との突然の別れに驚き、 彼の冷たくなった頬に触れ、別れを惜しみました。 私も、未だに信じられません。 彼の位牌を前にしても、写真を見ても、実感がわきません。 どこか別のところにいて、 しばらくしたら、また帰ってきてくれるような気がしてならないのです。 電話が、メールが、またしばらくしたらあるような気がして・・・。 これから時間の経過と共に、 私は彼の死を見つめ、それを受け入れていくのだと思います。 私はこの日記を書くことによって、 皆さんの同情を誘っているわけではありません。 ただ、命の大切さについて、 今一度改めて見つめ、考えてほしいのです。 私が言いたいのは、 “生きている”というのは決して“当たり前”ではないということ。 生きていて“当たり前”だった私の彼氏は、 彼の死を告げる一本の電話で、 “当たり前”は瞬間的に崩れ去りました。 輝かしい尊いはずの命は、 残念ながら一瞬にして灯火が消える可能性を常に秘めています。 私は大切な人の死を目の前にして、それを実感させられました。 そして、「どうしてもっと彼を支えてあげなかったのだろう」と、 深く後悔しています。 生きているということは、素晴らしくて、輝いていて、 尊くて、そして、とても脆いものです。 自分の体を大切にして下さい。 一人で悩まないで下さい。 絶対、何があっても、死を選ばないで下さい。 絶対、生きてください。 そして、苦しんでいる人・悩んでいる人に、 手を差し伸べてあげて下さい。 一人にしてあげないで下さい。 深い悲しみに身を引き裂かれるような思いに心痛める人々が、 もうこれ以上現れないよう私は祈っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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