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旧正月の休みに家族でイギリスに旅行して帰ってきたら、28歳で家を出るまで一緒に住んでいた祖父が亡くなっていて、お葬式まで終わってしまっていた。
1月31日の朝私たちは上海を出発した。祖父はその日の夜に亡くなったらしい。イギリスに行くことを母に伝えてはいたが、宿泊先までは教えていなかった。パソコンを持って行ったけど、ホテルのWiFiにはどうしてもつなげられず、街のインターネットも日本語のソフトがないのでメールは見られなかった。 2月7日の午後、家に着いてメールをチェックしていたら、妹がメールで「お葬式は無事に終わりました。私たち兄弟で送ったお花代9000円立て替えておいたよ。」って。 えっ、お葬式!?誰の?おじいちゃん?亡くなったの?お葬式終わったの?いつ亡くなったの???? あまりにも簡単なメールでタイムスリップでもしたのかと思った。 もう一人の妹はその少し前にメールで「至急連絡ください」とだけ。 何が何だか分からなくて泣きながら国際電話カードを探した。見つかったのは12月31日で期限が切れたカードだけ。あとは全部使い果たしていた。 国際電話をかけようにも電話カードがない。家の電話から普通にかけようとすると繋がらない。不便なところに引っ越したばかりで、電話カードもすぐには買いに行けない。途方に暮れていたらスカイプの事を思い出し、長年使っていなかったアカウントに入金して電話をかけた。 妹たちと話して最後に母と話すとまたいきなり涙が出てきて言葉にならなくなってしまった。「おじいちゃんのお葬式に出られなかった。何にも手伝えなかった。ごめん。」と言うのが精いっぱいだった。母は「(数えで)99歳まで生きたんだから大往生だったよ。あんまり悲しまないで。みんな泣いてないよ。」と慰めてくれた。でも私が悲しかったのはあんなにお世話になった大好きな祖父を送れなかったこと。お葬式に欠席してしまったこと。それがとても悲しかった。 小さい頃はお茶や和菓子が好きでいつも祖父のところに入り浸って一緒にお茶を飲んでをいた。戦時中、中国で逓信兵をしていたことや、中国人に親切にしてもらったこと、郵便局長仲間との昔話をよく聞かされた。先祖の話や、政治の話。それから、一緒にニュースを見ていてわからないことを聞くとなんでも答えてくれた。毎日、新聞を隅から隅まで読んで、なんでも知っている祖父をとても尊敬していた。私がクリスチャンになると決めた時、日本人は信仰の自由を認められていると言って反対する両親を説得してくれた。一年半の伝道に出ると決めた時も、祖父が良いことだと言って賛成してくれたので、これまた反対する両親は渋々承知してくれた。伝道前に私が調べた4代前までの系図を見てとても喜んでくれて立派な家系図の本を購入しそれに書き写させてくれた。伝道中に先祖からのプレゼントだと言って現金書留でお金を送ってくれたこともある。きっと、孫の中では一番お世話になっているのが私だと断言できる。初孫だし。なのに、祖父のこの世での最後の大切な式に参加できなかったのは何ともやりきれない。 いままでは旧正月はほとんどどこにも行かず上海で過ごしている。2度くらいスキーをするために実家に帰ったこともあった。去年は冬と夏2回も実家で過ごせた。5~6年前に祖父が脳溢血で倒れた時みんな覚悟して親類まで呼んだ。その時は偶然同窓会で実家に帰っていた。しかし祖父は奇跡の復活を果たし、そのあとも大腸がんや、数々の病気から生還し、好きなものをお腹いっぱい食べて元気に過ごしていた。なのに、私たちが初めて海外旅行に行くことにした時に逝ってしまうなんて。 亡くなった人との別れは一時のことで、いつかまた会えると信じている。その時にお葬式の事を謝ろう。でもどうしてこのタイミングで亡くなったのかも聞かなくては。祖父は一緒にイギリスについて行きたかったからと答えるかもしれない。 仲の良かった祖母とは霊界で会えただろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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