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初秋の風の吹く頃、伯父を見送りました。
伯父は90歳の大往生で、天へと召されたのですが、 いろいろと考える事がありました。 以前の私はお葬式とは、もっと暗く、悲しいものだと思っていたのですが、 それはどうやら当てはまらないようです。 お通夜に始まり、葬儀とこれは一つの人生最期の儀式であり、 日本の葬儀には一つの「宇宙観」があるものだと思った次第です。 お坊さんの読まれるお経に、浮遊感を感じ (下手をするとこれは眠気を誘いますがww) 悲しみよりも慈しみと言うものが、心の中に染み渡っていく。 故人と故人を送る、身内と葬儀に来られた方の不思議な一体感。 そりゃ、人間ですから葬儀をしていく上での親戚との軋轢みたいなものも あったにはありましたがwww お坊さんの読まれるお経の中の慈しみと礼に、 葬儀を執り仕切られる、葬儀社さんたちの故人への優しさ。 葬儀と言うものは、怖いものは一つもなく、 しめやかに静かに淡々と執り行われるものなんですね。 その中に溢れるのは人間の優しさ、温もりのようなものであり、 自分の考えが、完全に方向違いだったという事が解りました。 葬儀と言うとそのイメージから「怖いもの、怖い話」を連想し、 勝手にそれが一人歩きしていたのが、今までの私です。 しかしながら、葬儀の中に漂うのは、一環しての静寂、透明感、 静謐感でありました。 これは遺体の安置されてるお寺、 また「焼き場」にもそのような空気は漂っており、 私が持っていた「焼き場」のイメージとは完全に違うものでした。 また焼き場と聞くと「怖い話」を連想する自分がなんと短絡的 とも思いましたね。 焼き場の係員の方も故人には敬意を表し、礼を尽くしている事も解りましたし、 そして、お骨となったその人にさえ、人間としての尊厳を持って接する。 これはもう日本人の倫理観、と日本人が生きてきた歴史と背景において 上手くはいえませんが、何かを学んだな、と思います。 葬儀と言うのは日本人の倫理観と宇宙観であり、大変奥深く、 仏教と言うものをそして自分は日本人だと感じました。 その葬儀の席で感じた、親子、兄弟、姉妹、従姉弟達との繋がり。 そういった意味でも、再度、親戚、家族をまだ別の方向から 見られた機会を得たと思います。 今月は2度もの東京~新大阪を往復する事となりましたが、 子供の時からの思い出が、大人になった今も、私の心に強く 残っていると言う事、それをしみじみと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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