●●●熱さにやられた●●●
いつものことなのだけど、初夏のオーストラリアから初冬の日本に行く時と、厳冬の日本から灼熱のオーストラリアに戻る時。どっちが体的に楽かというと、だんぜん前者。すんなりと日本の冬に溶け込め、寒い方が体の負担も少なく受け入れやすい。毎朝リビングでつける石油ファンヒーターは8℃前後を示してたけど、私の寝起きしていた和室は、裏山のひんやりした空気と日中日が差し込まないという悪条件が重なって、家の中でもヒマラヤ級に寒かった。(行ったことないけど)だから、お風呂に入ってすぐに羽毛布団に入るという生活で、布団から首ぎりぎり出して、まだ映るブラウン管テレビを見ていた。(テレビに合わせて、布団を斜めに敷いていた)そのテレビも3月22日をもって映らなくなるみたい・・・バブを沈めながらゆっくりお風呂に浸かれる生活。たまに風呂場に神戸新聞を持ち込んで、隅から隅まで読み尽くして、濡れた新聞紙が巨大に膨らみ、ふにゃふにゃの綿菓子のような感じになり、角をきっちりたたみたいA型母の逆鱗にふれたっけ。それにしても、そんな寒い中、息子は1ヶ月半も地元県立高校に通い、サッカー部に入れてもらい、なかなか会えないような仲間と出会い、なぜか「ビーバップ・ハイスクールってかっこいいね」と改めて気づいたようにいう。そこかい?今更ながらの出会いでもあったのか?彼のヤンキー遺伝子が目覚めたのか?高校生活での出会いは濃いからね。それでも、一生懸命に打ち込めるものがあったり、自分を客観的に見られるいい機会だったと思う。自分が今何をしなければいけないのか気づける機会でもあった。優先順位みたいなものか。そういえば、私がアルバイトをしていた時も、やんちゃそうな高校生が多かった。その中の高校生が私といっしょにチームを組んでいた木村多江似の三十路女に速攻一目惚れしたみたいで、アルバイト最終日、ラインのアドレスを渡したそうにしていた。「おばちゃんが代わりに渡しといちゃる」とその紙を受け取り、三十路女に渡した。三十路女には3人も子供がいることは、その男の子にはいえなかったなあ・・・今思えば肉食系の高校生であった。その行動力には脱帽だけど、これからは違うところにその行動力を使おうね。三十路女には「家庭を壊さないように!」と一応忠告しておいた。なんかアルバイトは毎日、毎日、楽しかったよ。肉体的にはキツかったけどね。10キロのシャリや11キロのシャリを持ち上げていたんだもん。あ、そうそう、向井理に劇似な声を持つ彼は、新入社員だった。ピカピカの22歳その声を聞いているだけでうっとり〜癒される。こういう一服の清涼剤のような声って、おばちゃんにはありがたやありがたや。声って重要!!!その彼が一度、私を呼ぶ時にこっちにおいでというように手招きしたことがあった。妄想全開!!!ク〜ラクラきちゃった!!!ダメヨダメダメ!!!そうなのです。私の年齢からして、まだまだこれからの人生を背負っている子には、私のつたない経験からしかできないけど、なにかしらプラスになるようなアドバイスをしまくるおせかっかいなおばちゃんという立ち位置がぴったりくるんです。だから、会社を辞めたくなっても、「意志の上にも3年」はがんばるのだよとアドバイス。今の私は余計なお世話のおせっかいなおばちゃんがちょうどいいのかな・・・