●●●もうこの地球に100%安全な場所はどこにもない●●●
9.11.2001からもう14年が経過した。私はまだ生きている。最近、あの時に灰をかぶった人が、胃がんで亡くなったというニュースを見た。とても人ごととは思えなかった。私は今年の夏になって、ようやく病院から解放された。2007年私はがんを患った。腫瘍の大きさはゴルフボール大。リンパ転移7/11。(私はカルテを盗み見た。手術の翌日、入院していたベットの前に何気なく置かれたカルテの束。手持ち無沙汰だったので、ちょっと手にとってページをくり始めた・・・)おそらくステージ2b,3a辺りだと思う。そして標準治療を受けた。いわゆる外科手術、抗がん剤治療、放射線治療。(*がんの種類がトリプルネガティブだったためホルモン療法は受けていません)外科手術を受けた後、抗がん剤治療が始まるまでの2ヶ月、治験を勧められた。要するに、治療費を無料にするから抗がん剤の量を2倍にするものだった。私は外科手術後、インターネットで調べまくったので、その効用を疑い、やる価値があるのか、散々考えたあげく、やらない選択を選んだ。抗がん剤は本当にすべての体力を吸い取るので、この時点で生きるのが嫌になるのだ。でも、『生きるためだ』と自分に言い聞かせてやるしかなかった。がんの治療には告知から最低でも丸一年を要する。病院通いが続くわけだ。それが2年目には3ヶ月に一度、3年目には6ヶ月に一度。最近では1年に一度という風に序々に間隔はあいてくる。しかし、これはほかに転移が見られなかった場合に限る。さて、私がなぜがんになったのか?まずは自分の食生活を振り返るだろう。生活習慣が悪かったのか?自分を責めるだろう。自問自答。最近なって知ったことであるが、あのテロは作られたものだったのだと。誰が?多くの人の命を犠牲にし、2つのWTCから出た粉塵(アスベスト+α+β+γ・・・)を吸った人はその後どうなったのだろう?あの時、半径5キロの円の中にいた私はその灰を吸ったのだろうか?あの時の風はどっちを向いて吹いていただろうか?当時は現実のただ中にいて私にはそんなことを気にする余裕すらなかった。結局のところ、明確な病気の原因なんてだれも自信を持って特定できない。今になってようやく思い当たるというぐらいだ。++++++++++++++++++++++++++++++++++++今朝7時半、Bから電話があった。向こうは−6時間で真夜中1時半。「心配していると思って電話した。ぼくはだいじょうぶだ」寝起きで状況を把握していない私は何のことかわからず電話を切った。あとになって、巨大クレーンが倒れて、多くの死者が出たことを知った。その日、ジェダからバスに8時間揺られてメッカに着いたばかりだったみたいだ。現場を目の当りにして、非常に驚いていた。神様にお祈りを捧げるために行っているのに、本当に一数先は闇なのが世の中だ。世界に少しでも明るい風が吹くようになにができるのだろうか。一人一人が自分の頭で考えなければならない。