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カテゴリ:読者のお便り
続きです。前回のお便りに、コメントです。
お便りをありがとうございます☆ ・・・イエスキリストだなんて、それは違うと思いますよ~(笑)。 でも、私の魂のルーツが弁財天というのはありえるな~と思います。 弁財天の特質である美術、音楽、舞踊、語学、学問、文筆の分野が全部当てはまっているので。 イエスの役割のような、人々に講演したり指導者の役割ではないな~と思います。 いろいろ、私のことを理解してくださりありがとうございます。 もし弁財天なら、弁財天が作っているジュエリーならば、様々なお客様達の体験談や沖縄の霊能者の先生がおっしゃっていたような効力は、あって当たり前ですよね。 そしてもし本当に弁財天なのでしたら、生まれつき弘法大師(空海)が守護霊の1人としてついていて私の教育係であったことや、弘法大師が私に未来の配偶者を2歳から7歳まで毎日映像で見せ続けたことや、私が霊的に厳重に守られていることや、スペインとニューヨークに導かれて無事で無傷で出会いにも恵まれていることや、師匠にもめぐり合い恵まれていることや、宝石業者さん達の出会いにも恵まれて優遇してもらえていることなど、つじつまが合っています。 弁財天ならそのくらい朝飯前で当たり前のはずですよね? また、本当に弁財天なのでしたら、弁財天の特質である美術、音楽(オルガン、キーボード、作曲アレンジ、選曲、プロデュース)、舞踊(バレエ→その後タップに転向)、語学、学問(経済学部)、文筆は全て発達して出来ていて当たり前ですし、なぜこのように多くの分野が同時に発達して一つの人生で全て開花したのか理由が分かるし理にかなっていて、つじつまが合っていますね。 弁財天らしく全て世界最高のお導きがあり、それがずっと前から何十年も前から続いていて出会いもたくさんセットされていて、世界最高峰のレベルの技術を身につけて発展するようになっていたのだとしたら、実につじつまが合っています。 私のことをよく知らない人々から(笑)、「なんでそんなにたくさんのこと(美術、音楽、舞踊、語学、学問、文筆)が出来るのですか?」とか、日本でもスペインでもニューヨークでもよく言われ続けてきましたし、普通は人間は1つの分野だけをやっていても才能をのばすのは大変なのにどうして?とか、謎に思われていました。 ざっと数えても6つの分野ですし、その分野の基礎から派生して発展させていくつもやっていますし、周りからいつも謎に思われて、自分でもなぜこんなにたくさんのことが出来て得意なのか?なぜこんなにたくさん私からあふれ出てくるのか?「無限にあふれ出て止まらない」が、私の自然の姿なのです。 ←これは弁財天なのだったら根源につながっているからそのソースから無限にあふれ出てくるのは当たり前だな~と、つじつまが合います。 (そしてまだあった・・・趣味は料理、メディテーション(瞑想)、写真などです☆綱渡りも出来ますよ(笑)) ・・・普通はいつも上記のことを謎に思われてしまいますが、長年の時間をかけて少しずつ周りに理解者に囲まれているお陰様で、私の理解者達は私のことをよく知っているから6つの分野をやっていて「無限にあふれ出てくる」ことも当たり前にとらえていて受け入れてくれています。 そして肉体的特長も顔も背格好も弁財天そっくりで、頭蓋骨が頬骨もエラも全く張っていなくて弁財天そっくりで、首から肩にかけてのラインや手足や雰囲気も全くそっくりで、身長も弁財天と同じく高くて、私は日本人女性としてはかなり身長が大きい方です。弁財天は身長が一段と高い御霊なのです。 ←(これも、私が海外で生きていきやすいように身長を高くセットされていたのだ!と、後から気が付きました。もし私の身長が10cm低かったら(!)、1人でニューヨークやスペインなど物騒なところをほっつき歩いたりしにくかったですし、夜1人で出歩けないし、小さいとかっぱらいとか暴漢が襲いやすいから狙われやすいだろうし、海外で無事で無傷では過ごしにくかっただろうと思うのです。この身長のせいでスペインでも夜中から朝にかけてディスコやクラブでDJをしても無事だったのだし、海外の危ないところでも守られていたと気が付いて実感しています。よくあんな危ないところで(笑)、夜の仕事(DJ、PR(パブリシスト)をやって危険ドラッグも大量に飛び交っていたのに、それでも無傷だったな~とつくづく思います。DJは私以外全員コカイン中毒でしたから。そんな危険な場所にいて平気で無傷だったのは、夜の世界では自分より身長が低い男性は誰も声かけてこないし(笑)近寄ってこないし、ナメられなかったからだと分かります。 ニューヨークでよく聞く話ですが、日本人のカワイイ小さな女性は軽くて持ち運びやすいから暴漢に狙われやすくて、例えばその女性の両側から2人の男性が抱えて持ち上げて死角になる場所へさっと運んで持っていってしまって追いはぎにあって襲われた事件とか(!こわっ!)たまに聞きますよ。・・・そんな話を聞くと、怖いですよね。) ・・・これらの6つの分野のことは、弁財天なのだったら当たり前に全てこなせて開花できているはずですよね。 しかも信じられないレベルで厳重に守られていて、身長のせいもあって危険から免れられる「魔法のベール」を神からかけてもらえていて守られていたのだと思います。 ベールをかけられていたから無事だったのです。 それは、最近そう思うようになりました。 そういうわけで、私の特質は芸術(主なものは美術)ですから、芸術家だと思います。 イエスのような講話をして人々を導く霊的指導者は、私の役割ではないと思います。 こういう役割は魂の特質(傾向)から発生するものですから、霊的指導者と芸術家とどちらが上か下かという問題ではなくて、「他の分野の役割に比べて、イエスのような霊的指導者の役割のほうが一番上」ととらえる価値感は間違っていると思います。 そのように、イエスを人々よりも一番上ととらえると、全てに問題が発生して多くの人々の人生が狂いますよね。同じように弁財天を人々よりも一番上ととらえることも間違っている価値感なのですよ。←これについても機会があれば詳しく書きますね。 「役割の違い」なのです。 イエスは確かに、人々よりも魂が一番開花した状態ですから、霊的指導者の役割をしています。でもそれは役割であって、時期的に他の人々よりも一番開花している時を迎えている魂なのであって、全ては同じ命だから上も下も無いのですよ。 人々全員の魂を一つの植物から生えているたくさんの花とつぼみにたとえると、間違いをたくさん犯してバッド・カルマを作りまくっていて過ちをやってつまづいて転んでみないと分からない&学べない一般大衆はつぼみの時期であり、一番波動が高まっていて開花した花である状態なのが霊的指導者のイエスなのです。 イエスは開花した花であるから、つぼみの一般大衆のように過ちをやらなくても転ばなくても学ばなくても全て最初から分かっているから、バッド・カルマを作る必要がなくて、学ばなくても全ての英知は自分の胸の中に最初からある状態なのです。最初からつまづいたり学んだり失敗したり過ちを犯したりする必要がない段階の魂が、開花した状態です。 満開の花(成熟した魂)であるかつぼみ(未熟な魂)であるかは、時期の違いなのであって、魂の本質に上も下もなくて、全て同じ、全てがいのちで同等なのです。 だから、イエスが偉いというとらえかたは、間違っています。偉いのではなくて、時期の違いです。イエスは満開で一番波動が高まった状態に差し掛かっている魂なのです。 つぼみもやがて時間が経って時期がくれば、満開に咲き誇る波動が高い花になります。全員の魂が何転生かすれば満開の時期を迎えますから。だから自分はつぼみだと落ち込むのは間違っている考え方です。ただ単につぼみという未熟な時期なだけですよ。 そして、植物で例えると分かるように、イエスのような霊的指導者やダ・ヴィンチのような芸術家は、それぞれこの世が必要な時には必ず1人2人は現れるものだと思いますし、もしイエスでなければ別の人がその役割を果たすように生まれているでしょうし、この世の地球に誰か開花した花の時期の魂は一定数、送り込まれるはずです。 ですから、あの時期はイエスだったのであって、もしイエスがいなかったとしても別の人がその役割の者として誕生していたはずだと思います。 また、植物と同じように、ついているつぼみ達が全員一度に開花するということは起こらないですよ! アセンションで全員開花するというのは、間違っている説ですよ。 アセンションが起こっても、全員は開花することはなく、一部は開花します。 ただアセンションで時間が進む速度が速まっていきつづけるので、つぼみも次々に開花する時期は早まっていく、つぼみから満開に至る時間の速度が速くなり、開花して枯れてやがてまた新しいつぼみが生まれてというサイクルは早くなります。 植物は、朝種を撒いたら昼には花が咲き誇り、夕方には実がなっているという状態で、時間が進む速度がしまいにはそのくらい早くなるのだそうです。←これは私達が生きている時期ではなくて、今生きている人々が全員亡くなった後のもうちょっと先の時代の話です。黄金時代のことです。今はそれに向けて、時間の速度がどんどん速まっていき続けています。 ・・・・・・・・ そういうわけで、私の役割は主なものは一言で言えば、「芸術家」です。 私の作品(美術、音楽、文筆など)を通じて、ご縁がある人々に楽しんでいただいて元気になっていただけたら嬉しく思います。 私の知っている霊的知識や、知っていたからこそ役に立って無事で守られたことや、知っていたから得したことなど、役に立つ事実の内容を記すために文章を書きますが、それはご縁がある人々に知らせてお役に立てたら嬉しいからです。 文章の分野では、私は小説や詩などフィクションは書かないです。時間が足りないからこういうのは書きません。 私が文章を記す理由は、知っていて得したことを人々に知らせたい、他の人々も得して一歩抜きん出て幸せを倍増させるお役に立てるかもしれないと思うからなのです。知らせたい人々は、現在の同じ時代の人に焦点を当てているのではなくて、もっと時代が進んだ後の世界の人々&現在でも魂の波動が進化した一部の人々だけに向けて書いています。 続きはまた次回! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月01日 00時04分32秒
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