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カテゴリ:人間の霊体の読み取り方
この「花」と「つぼみ」のシリーズはとてもご好評いただいて、ありがとうございます。そのご感想やお便りがいくつか届きました。
お役に立てて嬉しいです☆ 日常生活の中で、ご参考いただいて、応用して生かしていただければと思います。 >幼稚園生(つぼみ)と大学生(花)がこの世で接触して話をしたりして意識状態の大きな違いから摩擦や衝突が起こりやすいので、 この世では「人との付き合いは腹5分くらいまでにしておくと無難」というコツがあるのです。 ↑結局、これが一番大事ですね。 この世の常で、いつも必ず、「つぼみ」のほうから「花」へ一方的に近付いてきて根掘り葉掘り聞いてくるので、「つぼみ」から近付いてこられても距離を縮めすぎないように気をつけて、「腹五分くらいのお付き合い」にしておくようにお守り下さいね。・・・これを必ず気をつけていれば、霊的な進化段階の違いから起こる摩擦や衝突は起こらないように防げます。 植物で例えると分かりやすいですが、1本の同じ根から生えている「つぼみ」も「花」も全て、一定の距離があいていますよね?「つぼみ」と「花」がくっついている植物なんてありませんよね? それと同じで、人間界で例えている「つぼみ」も「花」もくっついていないほうが良い、一定の距離をあけてお互いに離れているほうが良いのです。だから、人付き合いは腹五分くらいまでのお付き合いにとどめておいて、近付きすぎないようにするほうが問題や摩擦が起こらず、上手く共存共栄していくことが出来るのです。 「つぼみ」は「花」にあまり接近しないように気をつけて、礼節をわきまえて、自分と花を比べないようにして、つぼみ自身のことに集中しておくほうが摩擦や衝突の問題が起こらないし、嫉妬心も湧いてこないです。自分の成長と努力のことだけに集中しておけば全て解決しますよ。よそ見をして自分と花を比べるから、摩擦や問題が起こるのです。 「花」は自分を磨いて学んで努力して成長してくることに意識を集中してこれたからこそ、現在は花として開花できているのですから、もともと「花」の人達は周りのつぼみや別の花と自分を比べるという視点が全くないので、周りと自分を比べないのです。 「花」は自分の中に不安感が全く無い(ゼロ)ので、周りと自分を絶対に比べない、 「つぼみ」は自分の中に漠然とした不安感があるので、周りの「花」と自分を比べてしまう、 ・・・という特色の違いがあります。 前回もはりつけた内容ですが、これについて、植物に例えて解説を加えます。 >「以前、ニューヨークで人とたくさん集まっていた時に、 ”大学は行って良かったですか?”と私が男性から突然聞かれた時、 ”はい、その後に役に立ちましたから、大学は行って良かったです。”と真実を答えたら、 ”あはははははは~!”と笑い声だけ返ってきたことがありました。 後日、”あの質問した僕は高卒なのだから、ああいう時は気を使って高卒の人のことを察して”いいえ、大学なんか行っても結局何も役に立たなかったです。”って答えて欲しかった。次からはそういうふうにもっと気を使って高卒の人が傷つかないように答えるように気をつけて欲しい”と、他の大卒の同じ場にいた女性から私へ伝言が伝えられたことがありました。 その時は、その伝言を返す際に、「真実は1つなのだから、真実は変わらないですよ。だから、真実をそれぞれ受け取る側の問題ですよ。そんな質問してこなければいいのです。」と答えました。」 これについて。 >「ああいう時は気を使って高卒の人のことを察して”いいえ、大学なんか行っても結局何も役に立たなかったです。”って答えて欲しかった。次からはそういうふうにもっと気を使って高卒の人が傷つかないように答えるように気をつけて欲しい”」と、他人へ要求していることは、 咲いている「花」へ向かって、「こっちは「つぼみ」なんだから、あんたは自分が「花」だからって咲かないでくれる? もっと遠慮して気を使って、「つぼみ」が傷つかないように気をつけてできるだけ小さく小さく咲いておいてくれる? 抑えて半分だけ咲いておくとか、小さくなっておいてくれますか?」と言っていることと同じですよね。 ・・・これは、大自然の中で野に咲く花に例えると、分かりやすいです。 例えば、まだ人間が1人も1歩も足を踏み入れたことが無い南米の未開のジャングルの中にも、満開の美しい「花」が咲いています。その満開の「花」は、誰かに見られるから咲いているとか、誰にも見られていないからちょっとだけ咲いておくとか、そういった調節はまったくしていないですよね?その「花」は、ジャングルの中で誰にも見られることがなくても、開花する時期が来たら思いっきり満開に咲いているのですよ。これが自然の姿なのです。 自然のお花は、開花する時期が来たら思いっきり満開に咲くのです。これで良いのです。 「もっと遠慮して気を使って、「つぼみ」が傷つかないように気をつけてできるだけ小さく小さく咲いておいてくれる?」とつぼみが花に要求するのは、人間界だけですよ。これは自然に反していることなので、おかしいです。 ←「真実の情報を受け取る側に問題がある」と、沖縄の霊能者の先生がおっしゃっていましたが。 つまり、開花した「花」を観て「まあ美しいわ~、幾転生か後に私もあんなふうに満開のお花になるんだわ~」と思うか「「つぼみ」に対して遠慮しないで、大きく開花して見せびらかして~!腹立つ~!」と思うかは、「受け取る側の問題」なのです。 人間も、花咲く時期が来ている人は、思いっきり開花して咲いて良いのですよ。開花しているお花の方は、咲く時期が来たから自然に咲いているだけであって、別につぼみに対して見せびらかそうとして咲いているわけではありません。 だから、つぼみ達は、いちいち花に向かって「大きく咲くな!」と要求するのは間違っていますから、咲いている花のことは温かく見守ってあげて、そっとしておいてあげて下さいね。 (・・・人間界の人間達よりも、未開のジャングルの植物達のほうがよっぽど偉い面もありますね~。) あと、つぼみと花の間でよく起こりやすい、バッドカルマについて、少し解説しますね。 前に書き込んだ内容で、 人間の男性の魂の進化段階(無数の館のどの階層からやってきた魂なのか)とそのバッドカルマの分量が全部透けて見えてしまう体質と霊眼が私には生まれ付きある、ということについて、続きです。 沖縄の霊能者の先生(ジュエリーのお客様)から「ねえさんはその能力を将来使う時が来るから、閉ざさないでね」とアドバイスを11年前(2011年)にいただいたこともあり、その先生に出会う大分前(2003年頃)にも別のもう1人の沖縄の霊能者の先生にも同じようなことを指摘されたこともあり、私のこの能力は今まで3人の霊能者の先生からのお墨付きをいただいていました。2003年、2011年と別の2人の沖縄の霊能者の先生達が、間をあけて、同じことをおっしゃったので、気のせいではないと思いますし、お陰様で今では私は自分のこの能力を受け入れています。 よく、霊的なものを何も観えない人々が、「あの人は・・・だ」、「あの人は解脱してる」、「あの人はまだ解脱してないよ」とか、分かっちゃいないのに他人のことをああだこうだと勝手なことを言っていますが、こればっかりは「人の魂の波動を正確に読み取ることが出来る」のでなければ何も分からないのですよ。 霊的な進化段階が、上から下は丸見えで、下から上は何も見えないのです。 だから、上から下は丸見えだからこそ、上からは「人の魂の波動を正確に読み取ることが出来る」のですよ。 霊的な進化段階が上の方は、聖人です。 もし聖人のことを「あの人はまだ解脱してないよ」とかあれこれ勝手に批判すると、(もしその人が解脱している聖人だった場合)、それはものすごく大きなバッドカルマを作ることになるのだそうです。これは沖縄の霊能者の先生に解説をお聞きしました。 ・・・これ、皆さん、ご存知でしたか??? 知らないで済まない話ですよね。 もし周りで「花」の方がいて、(もしその人が解脱している聖人だった場合)、その聖人のことを「あの人はまだ解脱してないよ」とかあれこれ勝手に批判すると、それはものすごく大きなバッドカルマになるそうです。 だからこそ、「つぼみ」が周りの「花」に近付きすぎないように、腹5分くらいまでのお付き合いで礼節をお互いに保つようにして、争いごとや摩擦を起こさないようにしていれば、「花」を近くで観ることによる問題も起こらないし嫌味を言うこともないし、勝手に批判することもないから聖人に対してバッドカルマを作らなくて済むのです。「つぼみ」から「花」は、下から上は全く見えないのだから、何も分からないのですよ。 本当に、「つぼみ」と「花」は、近付きすぎないように気をつけて、腹5分くらいまでのお付き合いを心がけることは大事なのです。そのほうが、お互い様で、罪(バッドカルマ)を作らなくて済みます。 注意事項について、また少しずつ、書くこともあると思います☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年09月23日 01時15分53秒
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