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2010年07月08日
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カテゴリ:読書
7月6日の夕刊一面で梅棹忠夫氏の死去を知らされた。


ちょうど、3週間ほど前、映像、情報論の本を家の本棚から取り出し、内容を確認しようと椅子の上に積んで置いた。その中に、梅棹氏の著書もあり、その時点で、梅棹氏はまだ生きていたはずだ。


自分の体調の変化が思わしくなくて、椅子の上の本は読まずに週末に本棚に戻した。梅棹氏の著書は、一つの情報源として、元あった場所で休養に入ったわけだ。


人の死が、特に、著名人の死が突然知らされるようになったのは、メディアの発達と無縁ではないと思う。

本来の人の死は、事故など、特殊な場合を除いて、ある日突然告げられるものではなく、それぞれの生の過程を経て、終わりの時を迎えるものだろう。


梅棹氏の本には、現代社会の変化が、情報の伝達過程を変化させている様子が、多彩な判例によって紹介されている。

自身の死がどのような過程を経て、世間に受容されるかさえ、ご存知でおられたと思えてならない。


民俗学、文化人類学は、現代の波立つ国際関係を渡るべき指針を探す上で重要な学問と思う。その拠点となる民博を残された、梅棹氏の偉業を思い、深く哀悼の意を表します。






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最終更新日  2010年07月08日 14時43分08秒
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