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政治家は言う。投票の結果がすべてだと。
国民には、候補者を選ぶ義務があると。 選びたい候補者がいないなら自分で立てと。 ならば、訊ねよう。 誰もが候補者に立てるような、制度がこの国にあるのか? 法制度が、議会を通じて細かく書き換えられていくのに、それを全有権者がすべて伝えられているというのか? 法の上の平等とは、机上の空論ではないのか? ある日、(というのは、昨日のことだが)心療内科から出された薬で意識が朦朧とした私は、参議院選挙のことなど思い出しもしなかった。 今の家に転居して5年、子供のいない私達夫婦には、選挙に行こうと声をかけてくる隣人もいない。 社会から置き去りにされたと感じるなら、自分で社会参加の方法を探せと。 しかし、私が隣人と言葉を交わせなくなった原因は、 義務教育を受けていた時代の不条理ないじめと、 そんな私を擁護できなかった家族と教育者たちと、誰かに頼ることさえ気づけなかった自分にある。 すべての有権者が投票できる能力があるなんて、幻想に過ぎない。 有権者の何割かは、投票にメリットを感じなければ、動かないだろうし、 選挙民であるという現実さえ、実感できない状態で、この国に暮らす国民がどれだけいるか、 政治家たちは、調べたことすら無いのだろう。 だから、ねじれ国会などと騒ぐくらいなら、参議院などさっさと廃止してしまえばいいと、 思っている人が白票を投じても、それは、民主主義に対する背信でも何でも無いと思う。 民主主義に、裏切られ続けたら、有権者はそうなっていくというだけのことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月12日 11時42分31秒
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