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カテゴリ:韓国
高校生の頃、演劇部で少しだけ舞台経験をした私は、今もごくたまに小劇場に足を運ぶことがある。夫の知人に、演劇関係者が数人いるからだ。
だけど、つかこうへいさんほどの舞台ともなると、会場も広いし、敷居も高そうで、私はつかさんの舞台を見たことが無い。なんとなく自分とは遠い人のような気もして。 きのうの新聞の訃報で、つかさんの本名が、金峰雄(キム・ボンウン)さんとはじめて知った。なんとなく感じた距離感は、そういうことかと少し納得した。 つかさんは生前に、対馬海峡に散骨をと知人、友人に文書を残したそうである。 東海(日本海)は、つかさんにとって、どんな海域だったのだろう。 この頃、北東アジアを巡る情勢が、緊迫感を増している。特に、6カ国協議を巡る各国の思惑が、戦争の口火を切らせようという勢いまで感じる。 協議の場が、単なる国境線(安保を含む)をめぐる争いであるなら、そこはもう既に戦場ではないのだろうか。 かつて、より豊かな領土を求めて、朝鮮半島に争いが絶えなかったことは事実である。 だからといって、すべてが、争いによって解決されていたわけではなく、相手の顔を立て、有利な条件を引き出し、相対する双方の国が痛みを分け合った長い歴史が、伝えられている。 軍事力と、経済力を持つことで、どこぞの国家は、大きな力を得たと錯覚してはいないか。 その土地も、海も、そこで生涯を過ごす、民のものである。 国家は、その民を支え、守るために存在するべきで、決して、自国を強く大きくすることだけが、国家の目的ではないと思うのだが。 つかさんが生前、東海について何を思っていたか、私は知らない。 でも、いつか、不自由な肉体を離れたとき、玄界灘を鎮める夢を見ようと思っていたのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月13日 14時43分19秒
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