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カテゴリ:音楽
クレーメルとの出会いは、夫が通っていたクラシックギター教室の先生からの誘いで出かけたコンサートだった。 それまで、クレーメルは、TVの映像の印象から、大げさなアクションでヴァイオリンを弾く人というイメージが強く、あえて聴く必要があるのか判断がつかないでいた。 しかし、実際にその動きに込められた表現の色彩と、大曲の後に準備された(もしかしたらアンコールの)曲名は忘れたが、間宮芳生(編曲)の音楽に、日本人としての自分のアイデンティティをこそっとくすぐられた気がして、とても愉しかったのを覚えている。 このアルバムは、アルヴォ・ペルト、フィリップ・グラス、ウラディミール・マルティノフという現代作曲家の曲ばかりが収められている。中でも、マルティノフという人は、日本でどんなに探しても、東欧の古典楽曲を集めたアルバムでしか名前が見られなかった。これは単なる想像だけど、作曲家より、研究者の側面が大きい人なのかもしれない。 いま流れている、ペルト<タブラ・ラサ>の細く、切れ切れに流れるストリングスの響きが、涼しさを感じさせる。 現代音楽は、一時期の実験の世界を離れて、世界を再現する試みに入ったような気がする。マルティノフの<カム・イン!>という曲では、メロディの中に割り込む素朴なパーカッションの音がなんともいえず心地よい。 これ、パッケージもきれいだし、いい曲ばかりなのだが、廃盤かもしれないので、中古販売店を探してみてください。 続いても、クレメラータ・ヴァルティカである。 同じ演者、同じ作曲家ばかり聴いているから、それしか知らないのではないかと思われそうだが(まあ、だいたいそうです) でも、音色だとか、字面だとか、趣味の幅の広さを自負して違和感を感じないのは、本気で音楽や言葉の魂と対話したことの無い人ではないかと疑いを感じる。 私の場合は、どこまで対話できているかはわからないが、多趣味のように見えて、実は、好む物はとても限られた範囲に集中している。 だから、そのときの気分でCDを取り出すと、2枚出して、2枚とも同じ演奏者だったりすることは珍しくはない。棚から取り出してはじめてそのことに気づくことすら、珍しくは無い(きょうもそうだった 笑)。 こちらは、中編成のオケのためのスコアだから、同じストリングスでも少々賑やかだ。 でも、ロマン派的なメロディではなく、空気を震わせながらゆったりと変化する音は、何物かの訪れを暗示するかのようで、神秘的だ。 オカルト好きではないけれど、これだけ不安が溢れている時代だ。作品は、幾重にも重なる不条理を、いまここにある音として取り出して聴かせてくれる。 これもまた、霊魂を鎮める夏にはよく似合う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月23日 14時30分28秒
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