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カテゴリ:音楽
我が家で、サマーフェスといえば、現代音楽@サントリー芸術財団です。
最近、薬の力で外出できるようになったので、室内楽を聴いて来ました。 5曲すべてが日本初演。萌えます。 名前を知らない作曲家の作品は、まず音源に出会うことが難しいです。だから、今回は、誰一人として知らない人の曲ばかりを聴いたわけです。 勇気というか、好奇心というか、指揮が佐藤紀雄で演奏がアンサンブル・ノマドだったから、チケットを買う勇気が持てたというか(冗談ですが)。 現代音楽を生で聴く面白さの中に、楽器の変遷がわかるということがあります。 いま、普通にピアノと呼ばれているものだって、かつては、あの中に鐘やら、何やら鳴り物が仕掛けられていた時代だってあるわけですし。 弦楽器や管楽器の大きさも形も、楽曲の要請と共に変化しています。 最近特に顕著なのは、曲のために新しく加えられていくパーカッションではないでしょうか。 今回は、特別珍しい形ではないですが、吊るすタイプのベルが、四角い板状だったこと(そういう楽器がもはや定着しているかに見えました)や、ゴム風船(指でこすって音を出す)が使われていました。 あと、完全に楽器の形をしていたのですが、名前のわからないもの等々。 ライブ・エレクトロニクスという、現場の音を拾い、それをスピーカーから流してライブに反映させる技術が使われている曲もあって、なんというか、テクニカルな面では、ものすごく新しい世界を目の当たりにした感があります。 ただ、曲については、音の質感にこだわるあまり、あまりに音が多い(隙が無い)のでは?という印象を受けました。無音さえ楽譜に記されている曲もありました。 9.11.以降の傾向として、影を持つテーマが多く、また、現代音楽の先人達の影響下からの飛躍が乏しいというか。オマージュであるのかもしれませんが。 その日、私はあまり体調がよくなくて、うつむいて目をつぶって、耳より頭から音を受け取りながら聴いていたのですが、それはまるで、質のよいオーディオルームで演奏を再現しているかのように響いていました。 夫に言わせると、こういった音楽は音源としては拾い切れない(CDには難しい)そうなのですが、楽曲の構成そのものが、ある完成形をイメージして作られてしまっていて、それ以外の鳴り方は無いのではないかという幻想にとらわれたわけです。 ライブでしかありえないのに、再現的という、実に不思議な印象でした。 と、体調の悪い私とは対称的に、夫は、だいぶ満足してくれたようで、いい夫孝行になりました。 個々の曲のレヴューは、いずれ夫のブログにアップされると思いますが、いつになることか。。。 余禄ですが、最近の若い現代作曲家は、かなりイケメン揃いです。 最後の曲で舞台挨拶に上がった方などは、実に美形で、目の保養にもなりました(笑)。 でも、それより嬉しかったのは、生の池辺さんと、湯浅さんを見かけたことでしょうか。 湯浅さんは、最初気づかなかったのですが、夫が、大学時代のクラブの顧問の先生と談笑していたのを見て気づいて教えてくれました。あれで、80歳とはお若いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年08月25日 10時11分00秒
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