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カテゴリ:中国
中国でフジタ社員ら4人取り調べ 新華社「軍事区域に侵入」 日本経済新聞 http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819695E0E1E2E39E8DE0E1E2EBE0E2E3E29180EAE2E2E2;bm=96958A9C93819499E0E6E2E2958DE0E6E2EBE0E2E3E2E2E2E2E2E2E2 1968年2月、夫の母方の伯父が滞在先の北京のホテルから、突然姿を消した。 スパイ容疑(経歴からくるもので、完全な誤解であった)で5年2ヶ月間拘禁幽閉されて、家族どころか日本政府でさえ、開放直前までその消息を知ることはなかったそうである。 拘束から数日で報道されたり、同僚にメールで助けを求められたり、時代はずいぶん変わったものだ。だからといって、そこが自分達の自由意思で活動できる土地ではないことを忘れた軽率な行動を取った、企業人たちの罪は軽くは無いと思う。 尖閣諸島の問題にしても、日本と中国の地理的、経済的結びつきの規模を考えれば、もっと慎重かつ大胆な外交が継続して行われていなくてはならないはずだ。 つまり、日本政府が、グローバル化で海外進出する日本企業が、海外でどんな事をしでかしているか、把握してないということなのだろう。 戦後の復興を、せめて人並みの生活をと、アジア全域が望んでいる時代は、各企業、個人に任せておけば、よかったかもしれない。 しかし、一つの過ちが、大きな世論のうねりを生み出す社会の中で、政治家や、国家公務員の対応は、それを先取りするよう変化してもらわなければ、それは怠慢といわれても仕方ないだろう。 国民が搾り出した血税で、外交を取り仕切るなら、それくらいの知恵をしぼってもらわなくては、輸血を受けて、感謝ひとつできない患者のようなものだ。 北京の檻 【著者情報】(「BOOK」データベースより) 鈴木正信(スズキマサノブ) 1929年、中国(旧満洲)大連に生まれ、少年時代をハルビンで送る。16歳(旧制中学4年)で敗戦。翌1946年秋、中国共産党軍(東北民主聯軍)に徴用され、軍医助手として病院勤務、各地を転戦。国共内戦、朝鮮戦争を体験。この間軍委託学生として中国医科大学に学ぶ。1953年帰国。NHK国際局勤務ののち、総合商社兼松へ。中国貿易を専担。1968年2月、北京出張中突然逮捕され、特務(スパイ)容疑で5年2ヶ月拘禁幽閉される。73年4月、国外追放処分を受け帰国。1989年、兼松を定年退職、創価大学へ(文学部外国語学科教授)。2005年退任 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年09月24日 09時32分43秒
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