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カテゴリ:読書
宮本常一を読む限り、かつて日本には各地に様々な形態の<寄り合い>の文化があり、話し合いであったり、揉め事や悩みを解消する場として機能していたらしい。 アジアの規模で考えても、例え、海で隔てられて、簡単に侵略行為に及べない土地(日本)であったとしても、交流が無かったわけもなく、葛藤は大きかったはずだ。 それを、対馬や琉球など、朝鮮半島や台湾、大陸寄りの地域の人々は、様々な形の交流術によって、自らの身の安全を守りながら、他民族からの利得を得る術を持っていたに違いない。 例え、直接語り合える共通言語が無かったとしても、クラ(文化人類学用語)の交換のように、価値を共有することも、できたはずだ。 国連があり、多くの国がその集団に所属していながら、国家間の争いを制御できないのは何故だろうか? 何たら会議と大仰な名前をつけてばかりで、じっくりと、お互いの立場を納得するまで語り合ったことはあるのだろうか? 日本は、東西、南北に広がる国である。しかも、山間部が多く、移動に手間がかかった時代には、文化の隔たりも大きかったはずだ。 こんなに異なる風土を持つ国の中で、一時期ではあったにせよ、平和が保たれたことの実態を、もっと入念に検証してみるべきではないだろうか。 交通が発達し、国家間の交流が、国の制御から離れつつある現在、そこで起こる問題を解決するためには、相手の立場を常に認識し続ける努力が求められているのではないだろうか。 国連内に<寄り合い>のようなノンストップの議場を置くことすら、出来ずにいるのが、現代人の愚かさなのだろう。 伸びた寿命すら、有効に使わないとは。
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最終更新日
2010年09月24日 19時16分19秒
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