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カテゴリ:読書
ひさしぶりに、長編を一気に読んだ気がする。 長編といっても、全集を組んだ池澤夏樹氏が言うように、叙事詩のように描かれた一人の男の半生だ。 ル・クレジオの重過ぎはしないが<ぶれ>のない文体に誘われるように、私は海を渡り、黄金探索の夢を見た。 ジュリアの散歩をしながらも、頭の中でル・クレジオの文体を模倣する。 そんな日々は、急に訪れた悲しみと疲れと、多少の不安から、どこか遠い場所へ私を連れ出してくれるようでもあった。 そしてきょう、最後のページを読み終えた後、解説(前の作品を作家の堀江敏幸氏が担当していた)を眺めていたら、同じ巻に収録されている、トゥルニエという作家の経歴と、また我が家の本棚がリンクした。 トゥルニエが傾倒し、その後門下に入ることになったバシュラールという哲学者の翻訳に「夢見る権利」という本がある。 つい最近、誰かが、版画が有名な画家の展覧会を見て、好みではなかったと書いていたのを思い出し、バシュラールの著書で知った、アルベール・フロコンを見せてあげたいと考えたのを思い出す。 日本の美術館、特に、デパートなどの催事を巡回する展覧会は、十年くらいのスパンで、同じような傾向の作品を繰り返し展示する。 それらの絵画をはじめてみる子供たちや、それだけが好きという人には待ち望んだ展示なのだろうが、四半世紀くらいそれらの会場を行き来すると、次第に飽きが来る。 絵画なんて、旅先とか、思いがけない場所で出会うほうが、同じ作家の作品の羅列を見るよりずっと印象深く感じられるものなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月25日 21時00分08秒
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