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セラピストの先生に、クライミングジムに行き始めたことを話したら、もう目標にたどり着くなんて展開が速いですね。お父さまの導きかな。って言われました。 岩登りの楽しさを知ったのは、当初、父の不在感があまりに大きくて、不調になるのを避けたくて、敢えてアウトレットに足を運んで、買物に逃避を見出していたときでした。 大した物欲も予算も無いので、買物に飽きてしまった頃、アウトドアショップでのクライミング体験で、気持ちが大きく動くのを感じました。 そして、子供の頃、登れる場所は、どこでも登って遊んでいたことを思い出しました。 先生は、何故登りたいのでしょうね?と私に問いかけます。 そこに岩があるからです。と答えたいのを我慢したかどうかは忘れてしまいましたが(笑)、 子供の頃、近所の大きな寺社で木登りをしたり、とにかく高いところに登るのが好きだったと話したと思います。 クライミングは個人技なので、ロープ・クライミングには、ビレイ(ロープの確保)をしてくれるパートナーが必要ですが、ボルダリングは、道具さえあれば一人でも楽しめます。 ボルダリング専用エリアでは、知人同士話している場合でも、それは休息を取っていたり、次に登りたいコースを待っている場合が多く、近隣の人が集まるスポーツジムにありがちな、社交場のような雰囲気ではありません。 人の出入りは多いけど、飾り気の無い静かな空間なのです。 そして、登りながら考えることは、次に手足をかける場所はどれか?どう登るか。危険は無いか、それくらい。 体験クライミングや教室で、腕のいい人にビレイしてもらっているときは、ほぼ登ることだけに集中できます。 動きながら、自分の身体に問いかける時間は、座禅にも似た感覚です。 心を空にするわけではありませんが、次の目標に集中するので、余計なことが頭に入り込んで来ません。私の場合、高所恐怖が少ないこともあるでしょうが。 特に、登ること、身体を動かすことが、本質的に好きな私にとって、それは、実に自然な時間でした。 だから、夫の庇護から離れて一人で活動するという当初の目標(まだ入り口に過ぎませんが)に、あっという間に立ってしまったことに、先生は驚き喜んでくれました。 私も、そうしたいと思ってクライミングを選んだのだと思います。 少しづつ、自分だけの時間を外で過ごすことによって、社会との接点の取り方を工夫していって、多少の身体的欠損は、むしろ、誰かを頼るための道具にしてしまおうと考えられるようにもなりました。 心を強く。柔軟に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月04日 07時31分36秒
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