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カテゴリ:読書
「失われた時を求めて」第二篇・第二部で、画家のアトリエで若き日のスワン夫人をモデルにした絵を見つけ、写真と絵画の関係性を思索するくだりを読んで、ロラン・バルトの『明るい部屋』を思い出す。 これ↑は、昨日のツイートなのですが、「失われた時を求めて」は、社会の様々な要素がそこここにちりばめられていて、とても興味深い書物です。 いま、ちくまの文庫版の3冊めを読んでいますが、この巻は少し薄いので、もう終盤にはいりました。 1冊目は、主人公が生きた当時の習俗が興味深く、2冊目は、様々な模様を描き出しながら繋がれていく人間関係が面白く、 (何しろ、韓流ドラマみたいに延々と続きますから 笑) それはまるでベンヤミンが、「若さの形而上学」(邦訳『来るべき哲学のプログラム』収録)で描いた日記についての思索の現前のようにも思え、 そうした新たな発見の一つ一つに出会う度に、私とこの物語を結ぶ糸があるときは太くなり、またあるときは眠りに誘うように細く、しかしある一定の強度を保ちながら紡がれて行き、 ふと気が付くと、寝室でベッドに横になると、サイドテーブルの上に置いた本を手にして、眠気でまぶたが重力に抗えなくなるまで、物語の世界を眺めさせるのです。 この秋には、また新しい個人全訳の刊行が始まったそうなので、抄訳といわず、全巻にチャレンジすることをお勧めいたします。 特に、渡鬼や韓流ドラマ(長尺)がお好きな方へ。 ※追記 夫に指摘されて気づいたのですが、プルーストとバルトには、約100年のずれがあり、バルトのほうが遅く生まれています。つまり、プルーストがバルトに霊感を与えた可能性があるというのが正しいのですが、ある時期から書評の仕事以外では本を読まなかったというバルトがプルーストを読んだかどうかは定かでありません。 しかし、写真を勉強していた頃の私が、バルトの写真論を通して絵画と写真の関係性を考えていた頃考えていたようなことを、プルーストがこの作品の中に織り込んでいたことが、私をこの本に惹き付けてやまない要素の一つとなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月16日 23時31分37秒
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