|
カテゴリ:カテゴリ未分類
9月です。毎年初旬に年を重ねていた父はもう土の中。 あと数日で、多くの人が失われたテロから10年。 あの日私は、アメリカからの来客の接待で、六本木からの夫の連絡を待ちつづけました。 来日した顧客の友人が一人、墜落した飛行機に乗り合わせていたそうです。 マンハッタン島で働いていた夫の親友は、夜通し歩いて対岸の自宅に戻ったとか。 例年8月中旬には、父から戦時中の話を聞かされていた私が 拡散する戦争について語る立場になったことに気づかされます。 悲しい現実ですが、少しでも辛さ、悲しみを抱えた世界のために 自分の体験を語り続けてみます。 来客のために用意されたホテルの近くにはアメリカ大使館があり、 私は、テレビの中で崩壊していくビルを見つめながら、 必死で夫の携帯にメールを送り続けました。 当時の日本は、オウム真理教など宗教団体によるテロは、国際テロとは関係なく、 日本は基本的にテロの標的になどならないという空気が溢れていました。 9月11日、崩れ落ちるビルの映像は、湾岸戦争の花火のように見える爆撃と何か違っていたでしょうか。 アメリカ本土が攻撃にさらされたというインパクトは強かったかもしれませんが、 日本は、イスラムと敵対していないという世間の空気が無かったとはいえないでしょう。 テロリスト側から見れば、日本はアメリカ側であり、彼らの資金調達に適した自由国家です。 私たちが、この島国の平穏を守るためには、隣人たちの心情をもっと的確に感じ取る必然に迫られています。 そう、テロリストたちも、元をただせば一人の人間なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月08日 10時55分57秒
|