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おはようございます。ってもう昼ですけれど、ネットやケータイが普及して、24時間おはようございますな世界では、スポーツジムでの挨拶が、夜でも「こんばんは」でなくて「おはようございます」になったことに誰も違和感を語りません。 (確かにやや業界系の私たち夫婦は、おはコネクションは多いのですが、普段は”こんばんは”を使います) 24時間、時間が使い放題になった世界で、人類の不幸は後を絶ちません。不死の世界は、不幸を知る時間が増えるだけって、どうして誰も言わないのでしょうか。 それは、<多幸感>を売り物に、豊かさを享受している人たちが、24時間お金を稼ぎ続ける世界を賛美し続けているからです。資本主義という名の。 化石燃料を動力として、発達した産業は、消費者という名の社会構成員と、戦士という名の戦闘要員を、その膨れ上がった生産能力で養いつつ増加させてきました。 そして、人類が、地球上の空気呼吸できる場所、水と食糧が生産できる場所しか住めないという、キャパシティの限界は、彼らのはじきだす損益計算式には、含まれていないはずです。 天災さえも。 保険という外部構造に、負荷を転嫁させて、消費社会は膨張を続けては、バブルをはじけさせています。その都度、生活を崩壊させる多くの人々の死を道端に置き去りながら。 足元のアスファルトをはがして、森を育てるには、もっと大きな力が必要だとでもいうのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月09日 12時36分25秒
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