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きのう、取引先の方たちとの飲み会から帰った夫が、いつになく暗い顔をして 何かと思ったら、元部下が自殺したということだった。 部下といっても、契約社員の自由な身分で、ときどき飲んで話をすることがあったみたいで、友達といっても差し支えないような人だったと思う。 デザイン業務をしていたので、系列だった制作会社を子会社化してから、本社に残った夫とはちがう屋根の下で働くことになったけど、その後もいろいろと交流は続いていたらしい。 数年前、そこを退社するまでは。 独立するといって出て行った彼の話を聞かなくなって、さほど時間が経ったような気がしない。 数年前にうつになりかけて、配置転換してもらってから、上司たちの都合で社内を転々としている夫にとっても、この数年は短かったに違いない。 地方から上京していた彼には、デザイン業務の無い郷里に帰ることは考えられない選択だったのだろう。 景気がいいからと子供を増やし、機械で手が足りているからと、頭脳労働がいいような雰囲気をあおり、教育事業で不要な人材を育て過ぎた挙句、彼らを食わせるはずの仕事は、景気とともにどこかに消え失せてしまった。 それが、今の日本だ。 けれど、私たちは、彼の死を超えて生きなければならない。 去年、亡くなった父の死を乗り越えて、自分の中に父を見ながら支えとしてきたように、私たちは、この現実を見つめ続けなければならない。 悲しいけれど、最後の日まで、それが、生きて誰かと出会うということなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月13日 10時02分00秒
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