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テーマ:介護・看護・喪失(5299)
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ロッ太はボチボチです。 今回は長いので2回に分けて書きました。ほとんど覚書に近い感じですが、おゆるしくださいませ。 前回の日記に書いた「おばあちゃん」 残念ながら、あの日記を書いた1週間後に天国に行ってしまいました。 私がおばあちゃんに会いに行った丁度一週間後でした。 最初は急変の知らせを土曜の夜に受け、眠れないまま日にちが変わったところでおばあちゃんの訃報。 一足先にオカンが向かいましたが、ロッ太はどうしてもはずせない仕事があったために 月曜日を待って会社に顔を出してから、同じ理由で会社に顔を出した従姉妹と一緒に東京駅から 新幹線でかけつけました。 その間ずっとおばあちゃんの死を受け入れるのが怖くて、実際おばあちゃんの顔を見たら自分がどうなるか不安でした。 おばあちゃんは、田舎の風習の通り、お通夜までは布団にちゃんと寝ていて、死んでしまった人とは思えないほど血色もよく(かなり時間が経っているにもかかわらず) 死後硬直もお年よりのせいか、ガチガチではなかったので、ほっぺたや、二の腕(そんなところ触るなって?)がお年より独特のやわらかさを残していました。 (白状すると、ロッ太はおばあちゃんの二の腕の内側のタプタプした肉が大好きでいつもさわっていたのでゴザイマス。でもあれってきもちいいよね?!) その時は涙はでなかったけど、ただ切なくてお線香の臭いと、みんなが叩く木魚と、もうひとつ、鐘?お茶碗みたいな・・・名前を知らないのだけど、あの「チーン・・・」という音が 「ああ、仏様に向かっているのね」と言う気持ちになりました。 ここのおばあちゃんち以外でこの音を聞くということはほとんどないロッ太なので(家に仏壇がないから。) この音を聞いて、お線香の臭いをかぐと、「ああ、おばあちゃんちだなぁ」という気持ちになるのです。 しばらくほうけたようにおばあちゃんと同じ部屋にいて、ボケッとしてたら 急にもうおばあちゃんはいないんだという実感がわいてきて親戚中の前で 声を上げて泣いたらさらに止まらなくなって みんなに「よかったな~先週会えて・・」とか「おばあちゃん、ロッ太に会えて安心したんだねぇ」とか「本当に苦しまないで、眠るように逝ったんだよ」と まぁいろいろ口々に慰めてはくれるのですが、 死ぬ前に会えたとか、死にざまが苦しんだの苦しまないのってそういうことは どうでもいいとは言わないけど、ロッ太にしてみれば 「そうじゃなくって!」って気持ちであり、 とにかく、おばあちゃんがもういない、ついこの間までしゃべってた人がもういない。 もう会えないんだ。ということが悲しくて辛かった。 単純にいつもかわいがってくれたロッ太のおばあちゃんがもういない。ただそれで泣いていたんだけどな。 人が亡くなって泣く。ということのほとんどはこういう感情によるものでしょう? 死にざまがひどかったから。とか、突然だったから。というよりはむしろ、もうその人がいない、もう話ができない。という喪失感から涙が出るんだと思うんですわ。 もちろん直前に会えたことは自分にとって救いになったことは間違いないけど 「むしろ、わたしのせいで体力を消耗しちゃった?」っと罪悪感もあるのです。 おばあちゃん、ごめんね・・・ 東北地方のこの地域では関東で言うお通夜というものはなく、「納棺」という儀式が夕方からありました。 浴衣を纏っているおばあちゃんに上から白い着物を着せて いわゆる「お遍路さん」みたいな格好になるのだけど、手の甲にも白い布をつけて、 足には白くて長い足袋をはかせ、わらじをはかせ・・・ということを一番近い家族、つまりは 子供たち(ロッ太オカンの兄弟)と、葬儀会社の人たちでやるんだけど・・・・ まぁ、ロッ太も後ろに立って見てたんですわ。孫だしね。 が・・・着物を着せる時、まず、片方の腕に袖を通して、背中の半分まで着物を入れて、体の向きを変えて・・・という手順が一般的。 でも、その時に注意しないといけないのが、(これは病気の人を着替えさせる時も同じ) 袖をちゃんと奥まで通すこと、できるだけ、反対側の腕を入れる時に余裕ができるように、着物を少しひっぱること。 じゃないとね、肩の部分から、反対側の腕が入りません。 そこは、慣れているであろう葬儀会社の人がやろうとしてくれてたんだけど・・・ すげーへたくそっ!!!!! そんなん反対側の腕をグリグリ袖通ししたらおばあちゃん痛いじゃん! 死んでるからいいってわけじゃないぞ! ああ、もう、あたしがやるからどきなさい!!!!っとマジで叫びそうになりました。 で、あまりにもモタモタ・ヘタクソっぷりに我慢ができなくなり、 「そこ、肩を一度抜かないと腕ははいらないですよ!」っと思わず後ろから言ってしまった・・・ だって、おばあちゃんの体をあんまり乱暴に扱われるのがいやなんですもの。 で、そのあと、足袋をはかせて、わらじをはかせて、編み上げるんですよ。 それも、なんかもー足をぐっともちあげられて、グリグリはかせられて、 わらじの編み方もイマイチダメで何度もやり直しで・・・・ 死んでからもこんなもみくちゃにされる風習っていかがなものか と、ちょっと思ってしまいましたでゴザイマス。 で、まぁ、近所の人や遠い親戚関係の人なんかも納棺に来てくれるんですが・・・ 服装が・・・限りなく、自由。礼服なんてダレも着てないっす。 ピンクのポロシャツを着ているおっさんまでいる。 というロッ太も会社から直行だったので、白ベースにストライプが入ったブラウスだったんですけど。 大事なのは気持ち。っちうことなんですかね。 その日は、着替えたおばあちゃんを棺にいれて、終わり。 みんなで夕食をとって、おばあちゃんの思い出話をして、和やかな雰囲気に。 悲しいけど、思い出話をすることで、みんながおばあちゃんを思っているということがつくづく感じるんですわ。 次の日はいわゆる「お葬式」しかも、田舎の家だから、セレモニーホールでやらずに 家でお葬式を執り行うということで、近所の人が朝もはよから焼香に来てくれる。 ということで、5時前に起きるように。と親戚一同輪になって作戦会議と称して指令が下される。 無理でしょ。絶対。5時前って人が起きる時間じゃないっす。 というわけで、夕食も早い田舎の夜は就寝も早い。 10時前にはこの状態。 合宿所状態。みんなで布団を引いてみんなで雑魚寝。こんだけの人数を収容できる田舎の家はいいなぁ。 が、結局ロッ太は「こんな早くには寝られない」という 男衆(次男・三男・長男の息子2人)に混じって地酒を飲みつつ ロッ太の知らないおばあちゃんの話や、昔の生活っぷりを別室で語ってもらいました。 散々飲んでもまだジャスト12時(爆) お風呂はもう入っていたので歯磨きだけしてお布団にもぐります。 ちなみにロッ太は雑魚寝ではなく、一人、おばあちゃんの部屋。 が・・・寒いっ!東北をなめちゃいけませんでした。この間は半そでで大丈夫だったのに・・・ と我慢しつつ、毛布をかぶっていたけど、どうにも我慢できなくなって雑魚寝部屋に毛布を奪いに行くも、余っている毛布なし。 仕方がないので、おばあちゃんの使っていた引き出しをあけて、あやまりつつ、おばあちゃんのパジャマを拝借。 なんとか眠りにつけましたとさ。 ちなみに、このパジャマは形見にもらって帰りました。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 29, 2007 08:59:10 PM
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