テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:二男の日記
二男は生後7ヶ月目(修正4ヶ月)の時に発病した「点頭てんかん(WEST症候群)」。
今では薬も切れて一年に1~2回程脳波をとって経過を観察するのみとなりました。 面倒な2種類飲んでいた薬も、1種類になり、減らしていき、最後には切れていきましたが、発達の遅れは残ってしまいました。 うちの場合は、原因は母親の常位胎盤早期剥離による早産の為、胎児仮死&脳内の出血によるものです。 最初は仮死でも重い仮死ではなく、未熟児網膜症以外異常は認められませんでした。 そして退院。 お盆を一ヵ月後に控えていて、お医者さんにも「車に乗っていってもいいでしょうか?」と聞いてみました。 「あまり揺れる状態でなければいいですよ」とのことだったので、田舎の祖父母にも見せてあげました。 うちの父もその頃は生きていて、とても喜んでくれました。 でも、夫の方は二男を喜ぶこともなく、長男の帰省に喜び沸きました。 「帰省して良かったのだろうか.....。」 そう思いました。 父親の方の叔母達は「この子はいい子やないの、上の子より可愛い子になるよ。」と目を細めて言ってくれたことを思い出します。 「この子はきっと普通に育ってくれる...。そして、夫の方の家族にもそれを見せ付けてやるんだ!」と心で思った記憶があります。 でも、それは叶えられず、運悪くこの病気になり、どれだけ運命を呪ったことか.....。 「もしかして、自動車に乗ったことが悪かったのか....」そういうことも考えました。 「なぜ?なぜ、退院時は出血なんてなかったのに、どうしてこんな病気になるの?」 先生に訴えました。 夫の親は「最初から病気があったのでは?」 まるで遺伝じゃないかといわんばかりの言い方....。 「遺伝子の病気じゃありません」 先生にも聞きました。 「出血もあとから見つかる場合もありますから....」 先生は言いました。 二男を夫側の人間が可愛がってくれる日がくるのだろうか....。 あれから9年。 3月16日で二男も10歳になります。 今では、この子なりに発達も上向きになり、愛嬌たっぷりの子に育ち、いろんな人達に可愛がられるようになりました。 そして、9年前の目標だった「夫側の身内に可愛がられること」が今年のお正月には叶いました。 二男も祖父には心を開きなついていました。 でも、祖母は側で対応しているのを見ていると、まだわだかまりがあるようにも見えます。 でも、今年こそ、今年こそ、お話が出きるようになり、自分の足で歩行できるようになってくれることを祈らざるを得ません。 もうすぐ10歳....あの出来事(自分も出血多量で生死をさ迷い、幽体離脱して自分は田舎へ帰ってたという事実!)から10年なんですね。 あまり書けませんが、この時は本当に信じられないことがおこった特別な時間だったんです。 一生忘れられませんね。 また不思議な出来事があり、二男が歩く夢が正夢になってくれることを祈ってる私です。 そういえば、当時入院していた時に同じ病室でお友達になったお母さんから今年も年賀状が届いてました。 その子ももう5年生だそうでした。 うちの子より1つ上のお姉さんだったんですねぇ.. 忘れていました( ̄∇ ̄*)>ACTHの副作用でブクブクに太っていた時の二男の写真です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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