ありがとう。
お久しぶりです。半年以上お休みしていましたがお知らせしなくてはいけないことがあり、久々に日記を更新します。年老いた文治の世話に集中したかったので、長い間日記の更新をお休みしてました。文治が、12月31日13時頃に永眠しました。我が家にやってきて、2年と1ヶ月を迎えてすぐの出来事でした。突然の悲報に驚かれる方もいらっしゃるとは思いますが原因は老化による、心臓病でした。半年ほど前から、動きが鈍くなっていましたが元気でした。6月~8月・・・背中に脱毛。2ヶ月間の抗生物質の投与でキレイに治りました。10月・・・食欲不振、脱水症状。腎臓病。ハムスターは人工透析ができないので週に1度の皮下補液と食事療法での水分補給。脱水症状も良くなり、食事の量も増えました。11月・・・眠っている時間が長くなり、少しずつ体重減少。皮下補液、食事療法動きはゆっくりですが、元気でした。12月・・・食欲不振、ふらふら歩き、努力呼吸、 眠っている時間が更に長くなる、末端が冷たい。 心臓病。通院は心臓への負担になるので薬のみの治療になりました。利尿剤、強心剤の投与。少しずつご飯も食べれるようになり、呼吸が楽になったようでした。文治の闘病中は、毎日が葛藤でした。完治しない病気のために薬を飲ませるのは、文治にとって苦痛だったはずです。静かに最期を迎えたいかもしれない。でも何もしないのは、見殺しにするような気がして…薬で少しでも楽になるのなら…と考えたり。1日でも長く生きて欲しいと思うのは、私のエゴではないのだろうかと…。毎日、薬を飲ませる時間が辛かったです。そして、最後の日いつもよりグッタリしていたので、お別れの時が来たことが分かりました。私は手の平で、小さくなった文治を包みました。名前を呼ぶと、頑張って顔を持ち上げてくれましたが数回荒い呼吸をして、動かなくなってしまいました。私が棺を作って、大好だったリンゴや野菜を入れてあげました。そして、彼が文治のお墓を作ってくれました。その後、数時間は空白でした。辛さを紛らわす為に、文治が使っていたケージを片付けたり掃除をしていたようでした。夜になって、暗い部屋でボーっとしていました。我に返って明かりを点けると、全て中途半端でした。今でも、外出しているとケージの中の温度計が気になって焦って帰宅してしまったり、ご飯の心配をしてしまいます。そして、思い出しては辛くて涙が溢れてきます。「泣いてばかりでは頑張った文治が可哀想だ。文治はきっと楽になったはず」と、彼に励まされながら少しずつ、文治のことを書こうと思うことができました。もっと、何かしてあげられなかっただろうか…年齢的にも、運命に任せた方が文治にとっては幸せだったのかも…私は、文治に沢山の物をもらったのに…今でも、悔やむことは沢山あり過ぎて、ゴメンねの気持ちで一杯です。いつ終わるか分からない苦痛に耐え、狭いケージの中で一人ぼっちで、亡くなることだけはさせたくなかったので最期を見守ることが出来たことは、文治が頑張ってくれたおかげです。いっぱい幸せをくれたこと、いっぱい元気をくれたこと、小さな身体で病気と闘ってくれたこと、文治、本当にありがとう。