|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今年からコースが変わりUniversal Studioからダウンタウンのコースでした。 ゴール地点であるダウンタウンに行きそこで車を駐車し,メトロでUniversal Studioに向かいました。ロスに20数年も住んでいるのに,初めて乗るメトロ。まるで日本の地下鉄に乗っているような錯覚をおこしてしまいました。メトロに乗って30分ぐらいで到着。 朝早かったのでかなり寒く多くの人達はホーム内で待機していました。外に出てみるとマラソンが始まる1時間も前だと言うのに凄い人たちで溢れていました。 いつもの雰囲気とは全く異なるLAマラソンはこうしてスタートしました。 今年のマラソン参加者数は2万4千715名,ほぼ去年と同じ数の参加者数だったそうです。 昼頃から気温があがり始めたせいもあり、100名のランナー達が暑さで具合が悪くなってしまったり、また、転んで怪我をしたランナー達も多かったようです。今年からコースが変更になったことを知らなかったランナー達も多く、走る前に2時間もかかるようなマラソンには出たくないと怒っていたそうです。 確かに走る前に費やす時間はフルマラソンをする場合かなり負担になってしまうと私も思いました。朝は4時には起きなくてはならず、走る4時間前に起きての移動は楽ではありませんでした。今年の優勝者はケニアのFred Mogakaさんで2時間17分14秒、しかしこの記録はLAマラソン始まって以来最も遅いゴールインだったそうです。 私はと言うと,何と今回ちょっと不謹慎なのですが、あまりにもお腹がすいてしまい、一緒に走っていた友人とマックに寄ってしっかりランチを食べました。この時間約20分、ですからゴールも去年より遅くなってしまいましたが、楽しいマラソンになりました。 今年一緒に初参加した一人がとても参考になる記事を書いてくれましたのでご紹介したいと思います。初めてマラソンに参加した彼の記事とても参考になると思いますので、ご紹介しますね。 二週間前に「出相さんも是非一緒に走りましょう!」というお誘いに、その場の勢いで「わかりました。私も参加します。」と深く考えずに応えてしまったのが始まりでした。慌てて、私がときどき通っているトーランスのYMCAで走る練習を始めました。 イベント当日は、トーランスで仲間の皆さんと朝5時半に集合し、ダウンタウンへ出発。前の晩は、“体をしっかりと休めておかなければ”と気持ちが焦り、結局2,3時間しか寝られなかった。スタートはUniversal Studioの横で、ゴールはダウンタウンのBona Venture Hotelの脇。マラソンという名の大きなお祭りである。 なんか、「楽しそうだな」と、今から26.2マイルも走ることを忘れてワクワク。朝の8時15分ころにスタートしたようであるが、約2万5千人の参加者で私たちがスタートラインを通過するまで10分ほどかかった。気持ちが興奮していること、周りに大勢が一緒に走っていること、大イベント独特の雰囲気、などのお陰で、今まで自己最長の7マイルを苦もなく走ってしまった。 「これはいけるぞ!」と思ったのがあまかった。 8マイルを越えたところで左足のふくらはぎが“ピクッピクッ”と痙攣。「こんなところで足がつってしまったら大変だ」と少しマッサージしたり、屈伸して筋肉をほぐし、しばらく歩く。痙攣が治まると、またジョギングを始める。10マイルで、心配していた右のヒザが痛み始める。両脇の下、足の付け根も摩擦で皮膚が赤くなり痛い。沿道でスタッフが提供してくれるVaseline(摩擦防止のローション)を塗るが痛みは良くならない。 「まだ残り16マイルもあるのに・・・」路わきで、右ヒザ、脇の下、足の付け根にテーピングを貼る。少し走ってはしばらく歩き、の繰り返し。 ハーフ・ポイントを前にして両足がうっ血したように足の指がズキズキ痛む。歩道に仰向けに寝て両足を上げて5分ほど休む。16マイルまで来たところで、右ヒザの痛みが歩くのも辛いほどに悪化。「これ以上我慢できない!」と、鎮痛剤Advilを飲む。そのまま18マイルまでびっこを引きながら歩く。18マイルあたりで鎮痛剤が効きだし、再び、少し走ってはしばらく歩く、を始める。 24マイルあたりで何故か鎮痛剤の効力がなくなり、右ヒザが再び痛みだす。そのまま25マイルまで歩く。 「何が何でも最後の1マイルは絶対に走る」と決めていた。“MILE 25”の横断幕から右ヒザの痛みをこらえながら走りだす。正直なところ、何度も何度も「やっぱり歩こう」と考えた。でも、最後を歩いてしまったら、LAマラソンに出た意味が半減してしまうような気がして、目は遠く前方にある“MILE 26”のサインだけを見ていた。 “MILE 26”の横断幕を何とか通過すると、コースは右へ90度曲がり、ゴールまでの0.2マイル(約320メートル)の直線。沿道からは大勢の観衆が「Great Job!」、「Almost There!」と大声で声援を送ってくれる。ゼッケンに書いてある私の名前を呼んで励ましてくれていたのを覚えている。 この最後の直線コースを走っているときには、不思議と疲れも痛みも感じなかった。ゴールにたどり着いた。ゴール横の時計は6時間25分くらいを示していた記憶がある。 係りの人がすぐに寄ってきて「Congratulations! You’ve made it, Jay!」と言って首からLAマラソンのメダルをかけてくれた。 その瞬間、ホッとしたのか、感動したのか、目に涙が出てきた。 いろんな人達が走っていた。若い人は当然のことながら、私の両親よりも年配の人達、松葉杖をつきながら、車椅子に乗りながら、障害者の方たちも何人もいた。 私のような五体満足の人間が、ゴールに到達できない理由はないと反省させられました。 マラソンに関しての貴重なアドバイスをいただきました。 1. 朝はお米を食べたので、空腹感を防止できました。 2. 塩分の補給のために塩を時折なめました。 3. 鎮痛剤を持参し、そのお陰でリタイヤせずにすみました。 4. Tシャツの下にピッタリと肌につくタンクトップを着たので、乳首が摩れて血が出ることを防止できました。 5. 靴下を裏返しにして履いたので、縫い目で足を痛めることがありませんでした。 6. 両足の指にはスタート前にテーピングをしました。お陰で足の指の爪は剥がれずにすみそうです。 7. 腹式呼吸でのジョギングに徹しました。 8. 辛くても立ち止まることをせずに、絶えず前に進むことに努めました。 9. のどが渇く前に水分の補給、定期的にアメをなめ、energy barを食べたため、スタミナの維持ができました。 友人から「LAマラソンに出た感想は?」と聞かれた。自分の中にあった“不可能”が、ひとつ少なくなった、と思った。 I invite you to join me next year. All you need is to decide. (Don’t do what I did. Good preparation is indeed crucial.) You will be telling YOUR story to others next year. 当日のボランティアの皆さん、警察や消防の人達、スタッフの皆さん、沿道で声援してくださった皆さん、感謝します。「本当に苦しくなった時には子供の顔が力になる」とマラソン経験者の方が言っておられました。私も最後の5マイルくらいは自分の子供の笑顔が頭に浮かび、助けられました。 Hello! Yoko少し長くなりましたがとても素晴らしい感想を書いてくださいましたので読者の方達とShareできたらと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.20 17:21:36
コメント(0) | コメントを書く |